サンプリングを語る by RHYTHMER

Written By Sakiko Torii

韓国では最近、Beenzinoの最新シングル『Dali, Van, Picasso』がサンプリング問題で物議を醸していました。この曲は往年のジャズ・ミュージシャン、Chet Baker(チェット・ベイカー)の『Alone Together』をサンプリングして作られていたのですが、Beenzino側(作曲をしたPeejay)はチェット・ベイカー側にサンプリング使用許可を取っていなかった、つまり無断使用だったということで問題になったのです。

今回の件に限らず、韓国ではサンプリングに関する論争が定期的に勃発しています。そんな中、ブラックミュージック専門サイトRHYTHMERが、サンプリングに関する考察記事を出しました。サンプリング問題について今後どう受け止めていくべきか、大変考えさせられる記事です。一生懸命翻訳したので、ぜひご一読ください。

 


 

長年のネタ、サンプリングを語る:About Sampling

文:カン・イルグォン

本題に入る前に・・・

もしも本記事に対して「サンプリングも知らないやつが無条件に盗作だと叫ぶこと」に憤慨し、ただ心の慰めを得るために一緒に怒ってあざ笑うための文章を期待しているなら、戻るボタンを押すことをお勧めする。この記事は、必死に現実から目をそらしてヒップホップ・ファンの感性に訴えかけるような文章でもなければ、「サンプリングは芸術。だけど守るべきことは守ろう」といった味気ない主張を盛り込んだ文章でもない。私はもう少し深く入っていきたいと考えている。そのような主張を繰り返す時期はもう過ぎたからだ。

注:そもそも厳密に言えばビートメーカーとプロデューサーは区別されるものであり、この記事で言及している対象は主にビートメーカーなのだが、最近は用語の区別が非常に曖昧になってきたため、この記事でも混在して書くこととする。

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「このゲームは大昔、Biz Markie(ビズ・マーキー)がGilbert O’Sullivan(ギルバート・オサリバン)の曲をサンプリングしたことをすっぱ抜かれた時からめちゃくちゃになった。オサリバンはまだ生きてるし、いかなるラッパーによってであれ、自分の音楽がサンプリングされることを望んじゃいなかった。あの時からサンプリングに関連したドミノ倒しが始まったんだ。これだけは言いたい。最近のヒップホップ・シーンを見ると、有名な曲を使ってる奴がちらほらいるね。まるで大物アーティストであるかのように、彼らの音楽をサンプリングするんだ。だけどそんなことをしたら問題がもっと大きくなるってことを理解しないと。俺? 俺はいつだってあんまりよく知られていない音楽を選んできたよ。皆が分かってないだけでね」

伝説的なプロデューサー、Pete Rock(ピート・ロック)が2011年の『Vlad TV』でのインタビューで話したこの短い言葉の中には、昨今のサンプリングをめぐる問題の核心、サンプリングに対する擁護、そしてプロデューサーたちがサンプリング手法に対してどのような視点を持つべきか、賢明な答えがすべて込められている。

彼が冒頭で述べたビズ・マーキーとギルバート・オサリバンの法的攻防は、サンプリングのクリアランス問題が浮上するたびに挙げられる有名な事件である。ビズ・マーキーは、1991年にリリースした3rd アルバム『I Need a Haircut』の収録曲『Alone Again』で、オサリバンの『Alone Again (Naturally)』を許可なしにサンプリングした。これを望まなかったオサリバンは、ビズ・マーキー側(当時配給をしていたワーナー)を提訴し、裁判所はオサリバンの主張を聞き入れた。そしてこの判決は、創作者とレコード会社の関係者に対して、サンプリングのクリアランスをすることの義務を強調し、商業的に成長真っ盛りだったヒップホップ界のパラダイムを瞬時に変えてしまった。ピート・ロックは上記の回答の中で、この事件を通してサンプリングにおける芸術性の背後に潜む倫理的・法的問題を想起させ、よく知られた曲を遠慮なく無断でサンプリングする彼らを指摘し、法を守らなければならないということに同意しながらも、ヒップホップのサンプリングの重要性を強調し(あくまで芸術性を担保するという仮定の下で)、それでいて倫理的・法的な尺度から外れることのできる妙策まで提示しているのだ。

国を問わず、サンプリングに関する論議はヒップホップ・シーンにおける長年のネタであり、最も敏感な部分だ。まことに呆れることだが、盗作に関する法制度すらまともに整備されていない韓国では、これまでこの件が大きく台頭したことはない。しかし焦点や攻防のレベルこそ違えど、国内でもサンプリングの問題は着実に起こってきた。そして今回のBeenzinoの『Dali, Van, Picasso』の無断サンプリング事件は強力な火だるまとなり、かつてないほどの熱い論争を呼び起こした。これまで数えきれないほどのサンプリングが行われてきたにも関わらず、音楽ファンたちの無関心と言論プレーによって巧妙に抜け出してきたミュージシャンたちのことを考えると、Beenzino側は運が悪かったように見えるかもしれない。しかしサンプリングに対する問題は、韓国ヒップホップ・シーンで必ず一度はしっかりと考察しなければならない問題だった。いや、韓国ヒップホップもすでに15年を越える歴史を誇るということを考慮すると、むしろ遅すぎるくらいなのだ。

率直に言って、サンプリングへの無知と攻撃に対するヒップホップ・ミュージシャンや関係者たちのこれまでの態度は非常に問題が多かった。盗作疑惑が起こる度にメジャーレーベルが「知らんぷり」作戦を展開するかと思えば、冷静に批判しなければならない立場ではむしろ「サンプリングで防御張り」を繰り広げるのだから、これほど笑えて悲しい状況もない。ヒップホップ・ファンや創作者たちが擁護するために吐き出す主張も、ほとんど恥同然だ。正確でもない情報を乱発し、基本的な概念すらないまま感情的な理屈や比喩ばかりを飛ばし続け、このように総括させる局面は迎えない。ヒップホップをよく知らずにいてむやみに「盗作」と騒ぐ大衆が多いことも事実だが、サンプリングに対するおぼろげな知識と一次元的な考えだけで肩を持つヒップホップ・ファンや創作者が多くいることもまた事実である。これは単純に「大衆 vs ヒップホップ・ファン」と区分けをして対立するような問題ではない。知識を積んで理解する過程の問題だ。そしてこれは双方にとって必要なことである。そのためにも、一度ここで知っておこう。

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サンプリングとは何か?

<既存の録音物の一部を借りて、新しい録音物に使用すること>

ヒップホップ・ファンであれば、ひとまずサンプリングというものが、既存の音楽の一部を借用して新しい音楽に使用することを称したものだということぐらいは知っているだろう。借用した音をデータに変え、そのデータに基づいて再び音に復元するサンプリングの工程は、最も広く知られているところでAKAI社のMPCサンプラーのような専用機器や、PC用のソフトウェアなどを介して行われる。いわゆる「丸サンプリング」と呼ばれる、原曲の4小節以上をそのまま持ってきてループさせる手法から、原曲の一部を細かく分割した後その断片を繋ぎ合わせる手法に至るまで、サンプリングは様々な試みを介して作られていく。また、原曲の雰囲気や質感をそのまま持ち込む場合もあれば、曲のテンポや音の高さを自由に調節したり、音そのものを変形させたりする場合もある。1曲を作る上でのサンプリングの対象は、原曲のメイン・メロディライン(メロディを構成する楽器やサウンドソース)、ドラムパート(スネアドラム、バスドラム、ハイハット)、アカペラボーカルなどすべての要素を含んでおり、このように1曲だけを持ってしても、どの部分を借用するのか、どのような方法で再構成するかによって新しい曲をいくらでも派生させることができる。その対象を複数の曲に広げることにより、出てくる結果の形態がほぼ無限になるというのがサンプリングにおける最大の美学である。

サンプリングの範囲は思ったよりも広範囲に及ぶ。一般的には既存曲のインストゥルメンタル、ボーカル、リズムパートの一部のみを取ってくることだけがサンプリングだと思われているが、実際にはサンプリングの領域はこの世のすべての音を含んでいる。たとえば鳥のさえずり、風の音、波の音など、自然の音を録音して曲に使用する場合でもサンプリングが使用されているのだ。ただしこれらの音には著作権者が存在しないため、まったく問題にはならない。それならば、論争や問題が多く起こっているサンプリングはいかにして始まったのだろうか?

ああ、その前に一般大衆はもちろん、ヒップホップ・ファンでさえも背景知識や概念が不足しているため、頻繁に起こる消耗的論争と判断のしづらい事項から解説してみよう。

 

丸サンプリングは汚いのか?

韓国のヒップホップ・ファンたちの間で繰り広げられる最も消耗的な論争のひとつが、通称「丸サンプリング」に関連するものだ(実際のところ丸サンプリングという表現自体に語弊があるのだが、分かりやすくするために使用する)。サンプリングされた曲の技術面、クオリティ面を評価する上で比較対象とされるならまだしも、丸サンプリングというだけで無条件に非難する姿は、韓国のヒップホップ・ファンのサンプリングに対する基本知識と理解がどれだけ不足しているかを表わしている。丸サンプリングで完成した曲が、そうでない曲よりも一目下に置かれる余地まで否定するつもりはない。しかし、だからと言ってそれが必ずしも汚いという意味ではない。場合によっては評価が変わってくる可能性もあるということだ。

通常、丸サンプリングをするのは原曲のイメージを最大限に活かすためだ。そのため、有名な曲が使用の対象となり、主にメジャーレーベルから出ている商業的ヒットを狙ったシングルに使用されてきた。世界最高のラッパーの1人であったThe Notorious B.I.G.(ノトーリアス・B.I.G.)の楽曲にも、このような丸サンプリングのトラックがかなりある。ファーストアルバムの『Juicy』やセカンドアルバムの『Mo Money Mo Problems』のような曲が代表的な例だ。興味深いのは、これらの曲がヒップホップの名曲と言われている点である。曲を探し出し、その中から最良の部分を引用するのがDJやプロデューサーとしての行為であることを認め、その上に乗せられたラップやプロダクションなどを踏まえて最終的な完成品について論じるべきだという認識がされているからだ。なお、これは他のジャンルでは一般的な「リメイク」の概念とも相通じるところがあるが、ラップやヒップホップでは既存の曲をそのまま歌ったり再現するわけではないという特性上、曲を生まれ変わらせるのだというように考えれば、むしろ丸サンプリングはリメイクよりも一歩上を行く創作法と呼ぶに値する。一般的なリメイクとは違い、原曲の世界観を大きく変えるため、リメイクよりも費用がかかることになる(これに関する具体的な説明は、後述のクリアランスのセクションを参照いただきたい)。

商業的な狙いとは関係なく丸サンプリングをしている場合は、プロデューサーがその曲に対する愛情を強く表に出すためであることが多い。何よりも、あまり知られていないレアな曲からループを取ってくるということは、発掘や紹介という次元で価値が高い。おそらく世界で最も多様かつ大量の音楽に接している人物が(真の意味での)DJだとすると、常に音楽を探し、見つけてきた昔の音楽と現代音楽をひとつに調和させるということは、彼らにとって一種の宿命とも言える。そして今後も引き続き強調していくが、ヒップホップが誕生して花を咲かせるまでに、DJたちが絶対的な役割を果たしたということ、そしてDJとビートメーカーとの間の壁はいとも簡単に崩れるということは知っておくべきである。

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従って、丸サンプリングの真の問題は丸サンプリングと呼ばれる手法自体にあるのではなく、その手法を使うプロデューサーの傾向や履歴(つまり丸サンプリングをする頻度)や、倫理的に許諾を受けたか受けていないかにある。例えば、発表する曲のほとんどを丸サンプリングで、且つある程度知られている曲ばかりを使用して完成させたプロデューサーがいるとしよう。このような場合、いくらヒップホップ音楽の歴史と特性を考慮しても、そのプロデューサーの創作の才能や態度を疑ってみるよりほかないだろう。全知全能のプロデューサーとして韓国でもよく知られているKanye West(カニエ・ウェスト)も、先日213の『Another Summer』という楽曲を制作した際、かの有名なEddie Kendricks(エディ・ケンドリックス)の『Intimate Friends』という曲を丸ごと借りている。しかし誰も彼のことを丸サンプリングだと非難しないのは、カニエが常に様々なサンプリング技術を発揮してきているアーティストだからだ。このように、少なくともヒップホップ・ファンであれば、丸サンプリングで完成された曲を論じる時、これは「丸サンプリングか否か」を問う一次元的な議論から一歩退いて、「その曲を作ったプロデューサーの歩み」と「その曲に使われた原曲が何なのか」に焦点を当てるべきなのである。

加えて丸サンプリングで作られた曲は、その原曲が有名であろうとなかろうと、どうしても原曲の影響力や貢献度が大きくなるため、クリアランスとクレジット表記は必須としなければならない。

 

無断サンプリングは盗作なのか?

これは本当に混乱するほかない問題だ。ひとまず聴き手の立場では、より正確に言うと、クレジットに表記されているミュージシャンの純粋な創作曲だと思って聴いた立場としては、原曲がほかにあるという事実を知った時に不信感のようなものを感じるためだ。しかし「無断サンプリング=盗作」という主張は正しくない。これは、次の2つの観点から説明することができる。

第一に、無断サンプリングと盗作では、それぞれ創作者の意図がはっきりと異なっている。

盗作は、意図して他人のものをコピーし、自分自身のものに改造させるのが目的だ。一方サンプリングは、ヒップホップ音楽を完成させる上でのひとつの手法としてアプローチするものである。サンプリングをする者は、その曲がサンプリングによって完成した曲だということを意図的に隠そうとはしない。韓国ヒップホップの曲でもよく耳にする、(ピッチを調節したり元のまま引用した)昔のソウルやファンクナンバーのボーカル・サンプルが良い例だろう。特にヒップホップというジャンルの中で、海外のインディーズ及びアンダーグラウンドのミュージシャンたちや、韓国国内のミュージシャンたちが無断で曲を利用するのは、コストの問題によって正式なクリアランスの手続きを踏んでいないためであって、原作者の音楽を盗もうとしているわけではないということを知っておくべきである。ただし誤解しないでほしい。無断サンプリングは何の問題もないという話ではない。「他人の著作物の一部を許諾なしに使った」ということは、結果的にはすべて同じだと見ることができる。ただ、創作者の良心、つまりどのような意図でアプローチしたのかということが重要な判断基準になるということを考慮すると、無断サンプリングと盗作は別の領域で論じられるべきものである。そのため海外では、盗作と無断サンプリングは、損害賠償の規模こそ似たようなものであっても、法的には厳然と区別されて扱われている。そしてこれ以外にも「無断サンプリング=盗作」という判断がなぜ危険なのか、以下の点を見れば分かるだろう。

第二に、サンプリングの範囲はかなり広い。

通常、メインメロディーが似ていることから疑惑がふくらむ盗作は、誰が聴いても原曲をコピーしたものだということが分かる。しかし前述のように、サンプリングの範囲や対象となる部分は非常に多岐にわたっており、原曲がどの曲なのか分かる場合もあれば、全く気付かない場合もある。原曲がどの曲なのか分かる場合でも、どの部分がサンプリングされたかによって、原曲が及ぼす影響の度合いは千差万別だ。盗作では、原曲の影響を問い詰めることも非常に重要な基準である。従って、単に「無断」という理由だけで盗作と同じだと話すということは、サンプリングという手法自体を否定することと変わりない。人によっては、だったら無断で丸サンプリングされた曲だけを盗作とすればいいと主張したいかもしれないが、これに対する答えは、先ほどの「丸サンプリングは汚いのか?」の項目での説明で代えることができる。

さあ、それでは先ほど話そうとしたサンプリングの開始について説明しよう。

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ヒップホップは無断サンプリングから始まった!

中世以前から続いてきた音楽借用の時代を経て、単なる借用とは差別化をするデジタル・サンプリングを誕生・発展させ、大衆音楽界に引き上げたのはヒップホップの先駆者たちだった。彼らは皆、ビートメーカーである前にDJだった。ひょっとしてこんな言葉を聞いたことはないだろうか?

「ヒップホップは無断サンプリングから始まった!」

その通りである。しかし、このような事実だけで、生半可にサンプリングに対する誤解や偏見に対抗しようと思われては困る。我々は、この歴史的事実の背景から調べてみなければならない。サンプリングはDJプレーの文化の中でその芽を出した。以前、ヒップホップの漫画『This Is Hip Hop:DJクール・ハークとヒップホップ音楽の誕生』の中でも述べたように、ヒップホップにおけるサンプリングの基礎を固めたのはDJ Kool Herc(クール・ハーク)のプレーだった。1973年、ニューヨークのブロンクスにあるボロアパートで開かれたホームパーティーで、クール・ハークは2つのターンテーブルとミキサーを持ってR&Bとファンク・ミュージックをかけながら、曲のブレーク(間奏)部分を無限にループさせるという会心の術で人々を熱狂させた。これを機に、ハークだけでなくAfrika Bambaataa(アフリカ・バンバータ)、Grandmaster Flash(グランドマスター・フラッシュ)などの有名DJも、2台のターンテーブルを使って自分たちの好きな部分をリピートさせるプレーをした。その後、彼らはパーカッションとベースでリズムパートを作り、その上に複数の曲の間奏を混ぜ合わせることで、より一層多彩なDJプレーを披露した。ヒップホップのループの概念を最初に刻んだハークの技術は、現在のサンプリング・プロダクションの基礎となったのだ。たまにサンプリングの開始について、黒人たちが貧しい生活の中で音楽を作ってラップをするために見つけた手段だと話す人がいるが、それは非常に歪曲された情報だ。サンプリングの歴史は、パーティーで人々の興味をそそるための方法として見つけ出されたDJのプレーから始まったのである。

ここで注目しなければならない、興味深くも重要な事実がある。当時、クール・ハークをはじめとする様々なDJたち(ヒップホップの音楽はDJから始まったということを忘れないように!)のとった行動だ。彼らは自分がプレーしたレコード盤に貼り付いているラベルを破ったり、書いてある文字を消したりすることが常だった。別のDJから、どの曲を使ったのか知られないようにするためだ。特に人々をより熱狂させるプレーが勝敗を分けていたDJ間のバトルにおいては、このようなことは一度や二度ではなかった。そしてこれが一種のオシャレとなり、当然のように受け入れられたのは、「コストをかけて探し起こしたレコードの音楽は俺のものだ」という認識があったからで、この流れは初期のヒップホップ・シーンを作り上げたプロデューサーたち(繰り返し強調するが、彼らはDJでもあった)にもそのまま繋がった。当時、プロデューサーにお金を出してレコードを買うということは、その音楽を思うがままに勝手にサンプリングして再構成することができるということを意味した。ヒップホップの歴史上で最も重要なDJ兼プロデューサーの1人、Marley Marl(マーリー・マール)が2013年9月頃にアメリカの公営放送NPRでのインタビューでした発言は、この事実をよく裏付けている。

「俺は本当にたくさんのレコードを持っていた。そこからキックやスネアを抜いて、自分の好きな形式通りに作ったりしてたよ」

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これはヒップホップ音楽の胎動期におけるいいエピソードでもあるが、ミュージシャンはもちろんのこと、音楽業界でさえもサンプリングという馴染みの薄い手法を前に、著作権をどうやって扱ったらいいのか分からなかった時代だったからこそ可能だったのだ。ラップとして最初にヒットしたシングル曲、Sugarhill Gang(シュガーヒル・ギャング)の『Rapper’s Delight』がChic(シック)の曲を無断サンプリングして、訴訟まで行ったというエピソードだけを見ても、当時はサンプリングと著作権に対する認識がほとんどなかったということが分かる。正式なレコード会社で制作されたこのシングルは、ソウル・ファンクグループであるシックの『Good Times』からベース部分を無断で引用したが、偶然クラブで『Rapper’s Delight』の存在を知ったシックのNile Rogers(ナイル・ロジャース)は、シュガーヒル・ギャングと制作会社に対して訴訟を起こし、その結果、彼らは原曲の著作権者としてクレジットに名前を上げると同時に、収益の一部を受けることができた。そしてこの事件は、ヒップホップの歴史上、初のサンプリング著作権論争として記録されている。

ところで、ここで絶対に見逃していけないポイントがある。結果的には無断盗用となったが、そもそも彼らは、原曲に対する対価を無視していたわけではないという事実だ。当時は、レコードショップで見つけたLPを買うためにお金を支払った行為自体が、その曲に対して使用料を払ったということだったのだ。従って「ヒップホップは無断サンプリングから始まった」という言葉を「黒人は貧しかったので、やむを得ず無断で使った」と表面的にだけ理解してはいけない。

 

サンプル・クリアランス問題が浮上したのは……

音楽業界で本格的にサンプル・クリアランスに対する認識が生まれ、法整備の必要性が出てきたのは、89年にDe La Soul(デ・ラ・ソウル)とThe Turtles(ザ・タートルズ)との間に生じた摩擦に先立って、上記ピート・ロックのインタビュー内でも言及した91年のビズ・マーキーとギルバート・オサリバンのケースを経てからだ。そして、このようにサンプリングと著作権に関連して敏感な反応が出てくるようになったのは、まさにヒップホップ音楽がお金になり始めたからである。実際、初期のヒップホップ・ミュージシャンやレコード関係者たちの多くは「ヒップホップがお金を稼ぐようになる前までは誰も気にしなかった」と言っている。その昔、白人ミュージシャンや関係者たちが、黒人ミュージシャンが発表した曲を勝手に使ってジャンルを変えただけの編曲を施し、あたかも自分の曲であるかのように堂々と発表していたことを考えると床を叩いて悔しがってもいいようなことだが、どうしたことか、時は流れて状況は変わっていくようだ。しかもクリアランスに対する問題は、むやみにヒップホップの肩を持つだけでは済まない話だ。

 

クリアランスはどのようにして成り立つのか?

<Sample Clearance(サンプル・クリアランス):サンプリングのために原曲の著作者、または団体から原曲の使用を承認される行為>

サンプル・クリアランスは、原曲のソースをそのまま使用する場合と、新たに演奏して使用する場合で少し違ってくる。2010年に当サイトにて掲載した外部ライターのコラムから、一部を引用させていただく。

「サンプリングには、大きく分けると原曲の音源(=原盤)をそのまま使用した場合とそうでない場合の2つの方法があります。例えば、かの有名なDiddy(ディディ)の『I’ll Be Missing You』は、Police(ポリス)の『Every Breathe You Take』のリフレーン・メロディを借用して新たに録音しています。このようなケースでは、ポリスの原盤を所有しているレコード会社から許諾を受ける必要はなく、音楽出版社を通じて作詞者と作曲者(以下、原著作者)の許諾を受ければ使用することができます。原著作者が出版社と契約を結んでいない場合、原著作者本人から直接許諾を受けることになります。もうひとつはShyne(シャイン)の『Quasi O.G.』のようなケースです。この曲ではイントロでBob Marley(ボブ・マーリー)の『No More Trouble』の原曲がそのまま使われています。このようなケースでは、出版社を通じて原著作者の許可を受けなければならないのはもちろん、ボブ・マーリーの原盤を所有しているレコード会社からも許可を受けなければなりません」

ヒップホップ・ファンの間ではよく知られている、サンプルを使った2つの名曲、Da Brat(ダ・ブラット)の『Funkdafied』とノトーリアス・B.I.G.の『Big Poppa』の例を加えてみよう。この2曲はThe Isley Brothers(アイズレー・ブラザーズ)の『Between The Sheets』をサンプリングしているが、『Funkdafied』は原曲のメロディーラインを持ってきて、そのメロディーを構成している楽器を完全に新しく変えて完成させたケースだ。一方『Big Poppa』は、原曲のインストゥルメンタル部分をそのまま使用したケースだ。そのため、前者は『I’ll be Missing You』の例、後者は『Quasi O.G.』の例が適用されると言えるだろう。

さて、この過程で多くの人に知られていないのは、クリアランスの大部分が「事前許可」で成り立つという点である。韓国では、サンプリングする曲の使用許可を受けてから楽曲を制作することが当然視されてきたが、これは多少つじつまが合わない手続きであった。他でもない「同一性維持権」という項目である。これは著作人格権のひとつで、「著作物を利用する者は、その著作者の特別な意思表示なしでは、その著作物の内容や形式に対する本質的な変更をすることができない」というものである。簡単に言うと、原著作者が曲を作った時に望んでいた方向性や雰囲気、世界観などを、編曲や歌詞の書き換えによって勝手に変えることができないというものだ。たまにアメリカのラッパーたちがインタビューで「サンプル・クリアランスができなくてボツにした曲がある」と言うのを聞いたことがあるだろう。アメリカでは、一旦サンプリングして曲を作ってから、原著作者側にクリアランスの要求をするのが一般的であるためだ。

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2012年、Lupe Fiasco(ルーペ・フィアスコ)のシングル『Around My Way (Freedom Ain’t Free)』を聴いたピート・ロックが怒りを露わにしたというエピソードがいい例だ。当時ルーペはPete Rock & CL Smooth(ピート・ロック&CL・スムース)の名曲『T.R.O.Y (They Reminisce Over You)』をサンプリングして話題となった。ピート・ロックの曲は、Heavy D & The Boyz(ヘヴィ・D&ザ・ボーイズ)の死亡したメンバー、Trouble T-Roy(トラブル・ティー・ロイ)を追悼する曲だったのだが、ルーペはビートの雰囲気はそのままにしながらも歌詞には全く別の物語を込めた。そしてこれがピート・ロックの逆鱗に触れたということだ。

「ルーペに対するディスではない。俺はあいつのことが大好きだ。だけどT.R.O.Yには触れてはならない。これは明白な毀損だ。あのビートは本当に沈痛と苦痛の中で出てきたんだ……。誰も触れてはいけないということだ!(中略)誰であろうと(その曲の歌詞を)創り直すのは正しいことではない」(ピート・ロックの当時のツイート)

厳密に言えば、レコード会社と正式なクリアランス手続きを踏んだルーペの行動は、法的には「同一性維持権」を侵害したものではなかった。しかし、道義的な面で侵害したということだった。ピート・ロックが作業に参加するという前提のもとでサンプリングを許可したのに、何の相談もなく(しかもサンプリングというよりは原曲のリメイクというレベルで)曲が発表され、原著作者であるピート・ロックはテーマが変わったと、つまり『T.R.O.Y. (They Reminisce Over You)』の本質的な部分が変質したと感じたのだ。

 

そんな法! 法! 法!

おそらく今頃は、「そんな法! 法! 法! 原則! 原則! 原則! ずいぶんと厄介にさせるね。芸術を法律の尺度だけで評価しようとするな!」などと、もどかしさを吐露している人もかなりいるだろう。しかし、盲目的なヒップホップ愛好家たちや国内の一部のミュージシャンたちが主張するように、サンプル・クリアランスというのは果たして本当に創作の領域を縮小させ、創作者を縛りつける忌々しい規則に過ぎないのだろうか? 加えて、これを単に「ヒップホップの伝統的な手法だから」という言葉ひとつで済ますことができるだろうか? それは非常に利己的で危険な考えだ。

サンプリングによって作られた数々のヒップホップのヒット曲が聴き手の心を魅了できたのは、ビートとラップの双方がうまく噛み合ったからだと言えるだろう。人によってはループするメロディーが良いと言ったり、リズムパート(ドラム)が良いと言ったり、ラップが良かったからだと言うこともある。ただ、該当アーティストの色がはっきりと投影されているラップは論外だとしても、もしその曲のフィーリングやリズムの多くがサンプリングした原曲から借りてきたものだったとしたらどうだろうか?例えば、Kendrick Lamar(ケンドリック・ラマー)の『Bitch, Don’t Kill My Vibe』を好んで聴いた人々の多くが魅了された、あの気怠いギターリフとムードは、デンマークのグループ、Boom Clap Bachelors(ブーム・クラップ・バチェラーズ)の『Tiden Flyver』という曲からそのまま借りてきたものだ。『Bitch, Don’t Kill My Vibe』にはサザン・ヒップホップのリズムが加えられ、ケンドリックの卓越したラップが乗せられたことで、原曲とは別のジャンルとして生まれ変わったが、この曲が完成するために『Tiden Flyver』の存在が中心にあったことを否定することはできない。このような場合、どれだけうまくサンプリングをしたかとは関係なく、原曲者を明らかにして対価を支払うのが当然の道理だ。ヒップホップで言うサンプリングとは、あくまで「借りる」という概念であって「奪う」という概念ではないから……。

借りるということは、対象者から同意を得なければならないという意味であり、無料貸与もあれば有料貸与もある。そしてこれは法的に定められたものではなく、貸す側の意思によって決定されることである。遠くまで行くこともない。サンプル・クリアランスとは、まさにこのように自然なプロセスなのだ。なによりも、我が身と同じぐらい他人のことも大切にすべき法律であるのに、「サンプリングはヒップホップの伝統的な手法だ!」という主張だけで大衆をあざ笑い、すべての論議を終息させようとする一部の創作者たちの姿勢からは、無知の恐怖が襲ってくることさえある。これは本当に真剣に悩むべき基本的な素養と認識の次元の問題なのに、いくら我々が受け入れる立場であったとしても、ミュージシャンや関係者はもちろん、このジャンルのファンだと自認する人々でさえも、法的・倫理的な問題に対して鈍感だということは十分に噛みしめておくべき点である。

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James Brown(ジェームス・ブラウン)のバンドのドラマーであり、世界最高のファンキー・ドラマーとしても有名なClyde Stubblefield(クライド・スタッブルフィールド)の例では、創作者がほかの創作者の作品を軽く見る態度に警鐘を鳴らしていると見ることができる。ジェームス・ブラウンの名曲『Funky Drummer (Part 1 & 2)』で、スタッブルフィールドが制作・演奏した伝説的なドラムブレイクは、後にヒップホップ・ミュージシャンはもちろん、様々なジャンルのミュージシャンの曲に数え切れないほどサンプリングされ、これまで数多く使われてきているが、彼は正当な対価を受けたことがないという。もし彼がサンプリングの対価をきちんと受けていたとしたら、数億円レベルの金持ちになっていただろう。それほど『Funky Drummer』のドラムブレイクは、多くのヒップホップの名曲が誕生するのに多大な影響を及ぼした。これに関して、ドキュメンタリー『Copyright Criminals』に出てくるスタッブルフィールドのインタビューには相当感銘を受けたが、彼が重要視していたことは、お金よりもそのリズムを作った人が誰なのかを知らせる「名前」と小さな尊敬の表示だった。今も変わらず小さなジャズクラブで情熱的な演奏をやめないスタッブルフィールドは、ドキュメンタリーの中で非常に慈悲深い表情と声でこう話している。

「人々は僕のことを『ナンバーワン・サンプラー・ドラマー』と呼びます。誰が来ても、僕のドラムブレイクを使いたいと言えば(何の対価もなく)どうぞと言っていたこともあります。お金が重要なのではないですからね」

「ラップ・アーティストからは、「ありがとう」という言葉も「お元気ですか?」などと様子を伺う挨拶も聞いたことがないですね。これまで僕に感謝の挨拶をしてくれたのは、Melissa Etheridge(メリッサ・エスリッジ)だけですよ」

 

クリアランスをしなくてもいい著作物があったのだが……?

主に60年代以後のソウル、ファンクナンバーをサンプリングするヒップホップ・シーンにとってはまだ先の話になるが、著作者の死後70年経った著作物は、許可なしで自由に使用することができる(本来は死後50年であったが、2013年7月1日に変更された)。著作権法による保護期間が消滅するためだ。ただ、1曲に対する原著作者が複数名いる場合は、最後の1人が死亡した時点を基準とする。このような著作物を集めた国内サイト「共有広場」というものもある。そして別名「サンプルCD」と呼ばれる媒体に収録されたソースも無料で使用可能だ。最近は出てこないが、90年代だけでも複数のレーベルが所属ヒップホップ・ミュージシャンたちのヒット曲のソースを集めてCDで発売しており、CDを購入した時の費用がクリアランスの費用とみなされていた。

 

それで結局クリアランスの費用は一体いくらなの?

ずいぶん前、つまり韓国ヒップホップの初期の頃から囁かれてきた都市伝説がある。サンプル・クリアランスには、1曲あたり数千万ウォン(数百万円)がかかるという……。ところが当時はまだパソコン通信の時代だったため、限定的な情報しか得られなかった上、韓国の大衆音楽界にパブリッシングという概念自体が確立されていなかったので、本当にクリアランスをするのに1~3千万ウォン(100~300万円)が必要だったのか確認は取れていない。実際、RHYTHMERは先日外部コンテンツ提携業務で90年代から活動していた何人かのミュージシャンたちにインタビューをしたが、彼らが行った「無断サンプリング」と「盗作疑惑」について尋ねたところ、返ってきた回答はほとんど「当時は会社でさえもパブリッシングがどのようなものか知らなかった」というものだった。しかし今は事情が違う。依然として議論されている「千万ウォン単位」のクリアランス費用とは、極めて稀なケースに基づいて言われているもので、誤って伝わった平均的ではない金額である。さらに情報を総合して見ると、その稀なケースというものでさえも次の2つの理由である可能性が高い。原著作者が意図して金儲けをするために提示した金額、またはサンプリングにあまり関心がないために一か八かで差し出してみたもの……。

私はこの記事を書く上で、海外の音源を所有している音楽出版社の関係者をはじめ、サンプル・クリアランスを行うパブリッシング会社と接触してきたレーベル関係者数人から、かなり具体的な費用と現状について話を聞くことができた(多くの韓国ヒップホップ・ミュージシャンたちは、アメリカのソウル、ファンク・ミュージックからサンプリングを取ってきた)。クリアランスをするための金額は法的に定められていない。そのため状況によって異なるのだが、平均的な費用は1曲あたり200~300万ウォン(20~30万円)ということだ。ただし、サンプリングの使用許可を要求するミュージシャンの知名度を考慮して、ある程度の音源収益が期待される時は、クリアランスのための費用は支払わずに実際の収益を共有する方式を取ることもある。原著作者が出版社と契約を結んでおらず直接交渉した場合は、音楽的交流を通じて利害関係を問わないこともあるが、これは原著作者と親交が深くない限りは非常に稀なケースだと見ていい。数年前に起きた、こんなエピソードがある。某エレクトロ・ミュージシャンがアルバムを準備する際、ヤン・ヒウンさんの「朝の露」のフレーズをサンプリングして曲を制作した後(私の記憶ではそのフレーズは2回登場した)、許可を受けるために連絡をした。ところが彼女は自分のボーカルがサンプリングされることを望まず、最終的にはそのフレーズが削除された状態でリリースされた。交渉の過程で、費用を望むような話は一切なかったという。

再び平均費用の話に戻ろう。実際、多くのヒップホップ曲がサンプリングを使って作られていることを考えると、1曲あたり200万ウォンというのは決して安いものではない。ヒップホップ曲が1曲作られるのに少なくとも2つ以上のサンプルが使われることもあり、そのような曲を集めてアルバムを制作した場合はサンプル・クリアランス費用だけで千万ウォン単位に達することになる。この程度まで行くとメジャーレーベルですら負担を感じるのに、ましてやインディーズやアンダーグラウンドの立場では本末転倒だという声が上がるだけである。しかし、それだけで無条件に無断サンプリングを正当化することはできない。それに、現在インディー路線を歩むヒップホップ・ミュージシャンの中には、サンプル・クリアランスをするだけの十分な収益を上げている人もいるではないか?! 韓国ヒップホップ市場のバブルに対して一部から批判的な視線が落とされる度、SNSやインタビューを通して「韓国ヒップホップ・シーンも大きくなりました! 批判する人たちは皆ヘイター!」と叫んでいた多くの創作者たちが、サンプリングの問題が勃発すると、たちまち小さな市場やアンダーグラウンドの難しさについて吐露するという矛盾した姿には、苦々しい思いを抱かせられる。

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それではクリアランスは誰がするのか?

今回の事件が起こったことで降り注がれた様々な反響の中に、サンプル・クリアランスの手続きは誰が責任を負うのかという議論もあった。答えは簡単である。その曲やアルバムの主体となる創作者がレーベルに所属している場合はレーベルが、そうでない場合は創作者本人が解決しなければならない。海外においては、メジャーレーベルやある程度の規模があるレーベルなら、アルバム事業に関連する法的・倫理的な問題を解決する弁護士あるいは部門がある。たまに過去の無断サンプリングが訴訟に巻き込まれるケースがあるが、これはその創作者とのコミュニケーションが適切に行われず、クリアランスの過程が見逃されていたからである。メジャーレーベルでなくともサンプリングに関する認識がうまくいっているアメリカのヒップホップ・シーンとは違い、韓国で問題が歪んでしまった理由は、作曲者がサンプリングしたという事実をレーベルに知らせなければならないという重要な事実を見落としているためだ。より簡単に理解してもらうために今回の『Dali, Van, Picasso』を例に挙げると、サンプル・クリアランスをする法的義務と責任はBeenzinoの所属レーベルであるIllionaire Recordsにある。しかし、Illionaireから直接Peejayにチェット・ベイカーの『Alone Together』をサンプリングして作ってほしいと要請したのではない以上、今回の件の責任をすべてレーベル側に問うことはできない。

 

結局お金がないならサンプリングはするなということか?

余計な心配かもしれないが、ここまで読み終えて「結局クリアランスのためのお金がなければ、サンプリングはしてはならないという話か?」と恨めしく考える人もいるかもしれない。そこで今こそ私が本当にしたかった話をしようと思う。

「クリアランスの費用がなくても、サンプリングは続けなければならない」

ただし、原曲の影響力が極めて小さいか、まったく感じられないと判断できるような結果を得た時に限る。実際、このジャンルのファンであれば名前を知っているという程度のアメリカのインディー・ヒップホップ・ミュージシャンたちも、やはりクリアランス問題を避けるため、できるだけ珍しい音源からサンプルを取ってきて変形させたりする。そしてこれは単に法的・倫理的に起こりうる問題を解決するためだけでなく、ヒップホップ・ミュージシャンとしてのプライドである「再創造」というサンプリングの本質的な価値を誇示するためでもある。

サンプリングは単に既存の作品を「再現」するのではなく、「利用」して新しい作品を生み出す行為だ。はじめは「盗作」と馬鹿にされることもあったが、時間が経つにつれ「純粋な創作」という概念が曖昧になり、サンプリング手法の進歩によって多くのジャンルに影響を及ぼすようになり、ひとつの芸術として認められるまでに至った。主力ジャンルを問わず、国外の多くの評論家や専門家は、サンプリングの歴史や美学などの深刻なアプローチと研究をもとに多くの文書を出し、ミュージシャンの多くもサンプリングの価値を高く評価している。

サンプリングについて論じる際、常に一番最初に、そして重要事項として記載されるのがPublic Enemy(パブリック・エナミー)の作品である。サンプリングの究極の美学がそっくりそのまま盛り込まれている彼らの多くの曲は、サンプル・クリアランスの義務というものをどこまで適用するべきなのか深い考察を要求する。

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Mark Katz(マーク・カッツ)の著書『音をつかむ』の中でサンプリングの美学を説明する代表例として挙げられたパブリック・エナミーの曲には、平均で5曲以上のサンプルが使用されており、なんと10曲以上使用されている場合も多い。グループのリーダー、Chuck D(チャックD)を含む5人組の制作チーム、The Bomb Squad(ボム・スクワッド)は非常に多くのサンプルを緻密かつ精巧に組み合わせて、強力なグルーヴのビートを作り出した。重要なのは、クレジットを見てもどの曲がどのように使われたのか気づくことができないという事実である。マーク・カッツは著書の中で『Fight The Power』を例に挙げ、4秒間のうちに少なくとも10以上の異なるサンプルが1秒以下で使用されていると述べている。極端に短く切り取ったボーカル、パーカッション、楽器パートのソースが繋がって短いループを形成するということだけでも驚くが、さらにその上に別のループを重ねて完成させたという事実には舌を巻く。このような驚くべきサンプリング手法は『Fight The Power』だけでなく、そのほかの複数の曲でも聴くことができる。これは録音技術や機器の進歩のおかげで可能になった一種の見せ掛けではなく、音をコラージュで構成した革新的な芸術作法であることを端的に証明するものと言えるだろう。

このように、サンプリングとは、技術的な側面や倫理的な側面だけでは裁くことのできない変形の芸術として価値があるのだ。そういった意味では「適当に他人の曲の一部を取ってきてドラムを乗せればいいもの」といった無理解を露呈する国内の他のジャンルのミュージシャン、関係者、評論家が多いのは残念なことだ。

しかし現状では、すぐにサンプリングの美学を他のジャンルの音楽ファンや専門家たちに理解してもらうのはかなり難しい。皮肉なことだが、多くの韓国ヒップホップ・ミュージシャンたちがサンプリングに「盗作隠し」という汚名をかぶせ、その価値を貶めてきたからだ。アメリカのヒップホップ・シーンでサンプリングについて活発に議論が行われ、ひとつの革新的な作曲法として認められるようになったのは、私のような評論家によってではなく、サンプリングを使用して素晴らしい曲を作ったヒップホップ・ミュージシャンたちによってであったことを忘れてはならない。そのためには、創作者たちのほうから歴史と技術、そして関連問題に対する幅広い理解が先行されなければならない。DJ Soulscapeの言葉のように「自分の仕事にどれくらい正直に向き合うか」という態度と教養の問題なのだ。今回の事件を受け、私はこのように考えた。「韓国ヒップホップ・シーンでサンプリングの名誉を回復し、その真の価値を広める第一歩を踏み出すのに、今こそが適切な時期なのではないだろうか?」と……。もちろん非常に長い道のりとなるだろうが。

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韓国で苦労の多い(そして今後ももっと苦労しなければならない)サンプリングへの謝罪と、クリアランスの義務だけで裁くことができないほどサンプリングを使用して優れた結果を生み出している国内の数少ないプロデューサーたちに敬意を表して。そしてこの記事が微力ながらサンプリングを理解するために、まともな資料となることを願って。

 


 

参考資料:RHYTHMERコラム『サンプリングの親切なガイド』、Mark Katz(マーク・カッツ)『音をつかむ(原題:Capturing Sound:How Technology Has Changed Music)』、Dan Forrer(ダン・フォラー)監督のドキュメンタリー『Sample This』、Benjamin Franzen(ベンジャミン・フランツェン)監督のドキュメンタリー『Copyright Criminals』。ほか、問い合わせ事項に対して親切に詳しく答えてくれたパブリッシング社とレーベルの各関係者、創作者の方々に感謝申し上げます。

出所: RHYTHMER(2014-01-27)
日本語訳:Sakiko Torii

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