P-type『Street Poetry』インタビュー by HIPHOPPLAYA

Written By Sakiko Torii

P-typeさんのニューアルバム『Street Poetry』が発売され、HIPHOPPLAYAにロングインタビューが掲載されました。読んでいただければお察しするかと思いますが、もう本当に訳すのにどれだけ苦労したことか……。長さも半端ないけど、それ以上に内容が深すぎて、「私は今、哲学書を訳しているのかな?」と思いながら訳していました。すべてを訳し終わった今、なんだかものすごく頭が良くなった気分です。

実はP-typeさんってIQが200もあるという超天才で、世界で上位2%の知能を持つ人しか加入できない「メンサ」の会員でもあるのです。名門大学の哲学科を卒業しているだけあって、このインタビューの中にも哲学が溢れています。読んでいる皆さんもきっと「自分は今、哲学書を読んでいるのかな?」って気分になると思います。

その分とてもおもしろい内容となっています。読んでいるこっちまで思考が深くなるし、音楽のこと、ヒップホップのこと、政治のこと、いろんなことに絡めてたくさん考えさせられて、知識も深まって言うことなしです。これはもう間違いなく必読インタビューです。

 


 

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韓国ヒップホップ – 暴力的で雑種的ではなくローカライズに成功したか?

 

今回のアルバムのアートワークやビデオは、自分で方向性やコンテを念頭に入れてコラボしたのか?

アルバムのアートワークに関しては、完全に僕が陣頭指揮をとった。もちろん僕はアーティストのノウハウや作業工程をすべて知っているわけではないので、僕の頭の中にある想像力をRow Diggaとユンヒョプという2人のアーティストに結び付けてしまったのだが、その2人にぴったり合う席を設けてオーダーした。ユンヒョプはニューヨークで活動をして、アーティストたちから高い評価を受けており、Row Diggaもやはりグローバルな活動をして高い評価を受けているということが一役買っていたようだ。アートワークは、その2人を結び付けたらものすごくシナジーが出るだろうという考えから始め、僕は自分にできる限りの鑑別をして2人のコラボを成功させた。実は1stアルバム『Heavy Bass』の話題が出るたびにいつもアートワークにモヤモヤしていたが、今回は非常に満足している。『반환점(折り返し地点)』、『Timberland 6″』、それから『광화문(光化門)』までの様々なアートは、すべて僕がハンドリングした作品だ。だから今回の機会を通じて、僕も制作者としてのバイブスをより勉強するきっかけになった。『돈키호테2(ドンキホーテ2)』は、会社のA&Rスタッフの助けが大きかった。実際にはカン・スンウォン監督がAugust Frogsから独立した後、どのような作品が出てくるのか僕の頭の中でちょっとぼやけていたので、スタッフとすったもんだの末にビデオが誕生した。

 

『Heavy Bass』にKeeproots、Artisan Beats、P-typeがいたように、今回のアルバムもプロデューサーのラインナップがかなり重要だったようだ。交渉プロセスが知りたい。

今回のアルバムは、『Heavy Bass』時代のバイブスでやったら面白そうだという考えから出発したアルバムだ。その境界から大きく離れるような他のオプションは考えもしなかったが、そもそも最近は多くのプロデューサーが僕の満足いくようなハードなBoom bap(※1)をうまく出せないようなので、他にオプションは多くなかった。だからラップのフィーチャリングを交渉する際の基準もそうだったが、プロデューサーの交渉も、僕の周りで今の僕のように楽しんでいる人々のバイブスを中心にコンタクトした。だから交渉に大きな困難はなかった。Fascinatingさんに関しては、3rdアルバム『RAP』の時にIllionaireの子たちと一緒にやった『OST: Respect』のビートが僕としてはアルバムの中で満足度が一番高かったので、今回も作業をすることになった。そうやってFascinatingさんの『折り返し地点』でスタートを切ったからスイスイ行った。実はアルバムを制作する時、アーティストの立場で悩むことのひとつがプロデューサー陣の構成だ。プロデューサー陣を幅広くすれば、当然のことながらプロダクションの多様性をもたらすことができるだろうが、今回は『RAP』の時と同じ失敗はしたくなかった。個人的に『RAP』を振り返ると、「一貫性がなく、様々なスタイルに個人が適応するのに気を取られたアルバムではないか」という気がする。

※1 Boom bap:ヒップホップ・ミュージックにおける古典的なスタイルのひとつで、「ブーンバッ!」というドラムの擬音語からできた言葉。シンセサイザーのドラムビートとは対照的に、アコースティックなドラムのループと強いスネアのビートが特徴

 

3rdアルバム『RAP』には満足してないということか?

はい。だから「プロデューサーをあまりたくさん起用しないようにしよう」と思って、1stアルバム『Heavy Bass』の時のようにKeeprootsさんをメインに置いて、大部分の作曲・編曲を兼ねる方式を取った。実はFascinatingさんでさえ最初は決まっていなかった。ただ、やってみたらどうしても様々なプロデューサーたちに目が行っただけだ(笑) そうやって目を向けながら「どこかにもっとフレッシュな人はいないか」と言った時、まず最初に目に入ってきたプロデューサーのひとりがDeepfryであって。その当時、Deepfryは『Show Me The Money』でGarionのアレンジャーとして公開されたこと以外には露出することが全くない子だった。ところがMinosの紹介でビートをもらい、この子は本当に20代なのかと疑うほどBoom bapの感じがうまく作られていた。昔らしさを追求しながら、覇気があって上手にやる子だった。残念ながらサンプル・クリアランスの問題でDeepfryのビートを多く起用することができなかったが。今回のアルバムは、最初からそういったことで傷を作らないようにしていたから、使いたくても使えない状況だった。

 

実際はKeeprootsのプロデュース比重がそんなに大きくは見えない。

実は僕のアルバムにKeeprootsさんのビートがたった1曲しか入らなかったというのは今回が初めてだが、それも同じ理由からだ。もちろんKeeprootsさんのビートを起用できなかったことが物足りなくて最後まで調整してみたが、ある瞬間、Keeprootsさんに対する愛着や執着は僕の欲なんじゃないかという考えが浮かんだ。だから最終的に1曲だけ入れることにした。

 

話を聞いていると、プロデューサー交渉は結局、Boom bapの達人を探し出す作業だったようだ(笑) その点ではプロデューサーKebeeの参加も興味深い。

90’sスタイルのバイブスを追求したのに「ジャジーなものが少なすぎるか?」という気がした。かといってジャズサンプルを丸ごとサンプリングするのもちょっと陳腐だし、真新しいバイブスを見つけようと見回していた時、Kebeeの『Vice Versa』のビートを選んだ。Kebeeにはたった一言だけ言った。「おい、叶うか叶わないは分からないが、俺の夢は『Illmatic(※2)』を作ることなのにQ-Tip(※3)がいない」って(笑) そしたら結果的にちょうどぴったりのビートができた。その他にもSorihedaやMild Beatsさん、Humbertなどの友人たちともコミュニケーションを取り続けた。実際のところMild Beatsさんには「今回のアルバムはMild BeatsさんのビートなしにBoom bapを完成させたくない」と言ったほどだったが、不思議とMild Beatsさんは僕と作業しようとすると、感情がダウンモードになるんだよ(笑) だから今回もほとんど夏の間中、作業を試みて行ったり来たりしたけど、最後には降ろすことになったケースだ。

※2 Illmatic:1994年にリリースされたアメリカ人ラッパー、Nasの名盤。「ヒップホップのクラシック」の代名詞と言っても過言ではないほど名盤認定されている

※3 Q-Tip:Illmaticに参加したプロデューサー。Q-Tipの他にもDJ Premier、Pete Rock、Large Professorなどがプロデュースしている

 

「Boom bapは名前を得て、スタンダードを明け渡したのだろう」という歌詞も印象的だった。実際、僕が子供の頃はBoom bapという言葉はあえて使わなかった。

Boom bapは名前を得て、スタンダードを明け渡したのだろう。俺は歌を得て、悪魔と契約を結んだのだろう - 최악의 남자(最悪の男)

その通りだ。だけどそれはある意味、時間が流れてこの文化の中で表現されるスタイルがますます蓄積される瞬間、仕方なくなったと考えられる。とにかくその現象自体は面白かった。本当にその通りだね(笑) Boom bapがひとつのスタイルにされた瞬間、警戒していたことのひとつだ。「Boom bapが元々のスタンダードだ。みんなBoom bapに復帰しなければならない!」というような話ではなく、とあるひとつの音楽、ないしはその音楽を取り巻く文化の中で、サブジャンルをナイフで豆腐を切り刻み続けるように切り離すのは、ややもすると危険で無駄な観点になり得るということだ。実際に周りの若い子たちに話す時、いつも例に挙げるのがこういうことだ。「お前はソウルとファンクを区別できるか?」あるいは「スティービー・ワンダーはソウルの神だ。でなければファンクの父か? それともR&Bの先駆者か?」「ジェームズ・ブラウンはファンクの皇帝か? ソウルの新人か?」と。これをすべて区別できるだろうか? 僕はできない。そしてある瞬間、その区分の価値は失われるだろうと考えている。ヒップホップもやはり同じだろう。僕がものすごく驚いたのは「ジャジー・ヒップホップ」という言葉が生まれた時だ(笑) なぜそれがひとつの堂々としたサブジャンルのように語られなければならないのか。ただの傾向であり、カラーなのに(笑) 実際、Boom bapがスタンダードとされていた時は、ジャズのサンプルを使ってそのようなバイブスを作り出してもジャジー・ヒップホップとは呼ばなかった。ところがある瞬間、そのバイブス自体がひとつのサブジャンルとしての地位をつかみ取ろうと出てきた。その姿がとてもぎこちなかった。まるでクリエイティブ・ディレクター、アート・ディレクター、デザイナー、グラフィック・デザイナー、あるいはコピーライターとしてのキャリアが生じたように、僕からすると「これは何だ? こんなにたくさん、なんでそうやってタイトルに執着する?」といった思いだ。ひょっとするとそれは、ずっと職業を作り続けてリッチマーケットを攻略しなければならないシステムの奴隷のような一面ではないかという気がした。あえてそうする必要はないのに。まあそんな考えだ。とにかくBoom bapがこのスタンダードを明け渡してしまったのは、すでにそうなってしまったものではあるが、それに対して迷惑だとか戻らなければならないというようなことは言いたくはない。ただ、様々なものを消化しようとする時、その様々なものの中心に存在しなければならないのは、芸術家として、あるいはこの文化を愛する者としての姿勢であり、このようなものに動揺することなく常にいなければと思う。

 

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今回のアルバム制作期間は、かなり長かったように見える。

そうでもない。通常の僕のアルバムの制作期間を考えると、非常に短かったほうに入る。『RAP』が出てからわずか半年も経たないうちに制作に入った。長く感じるのは、アルバム鑑賞会の時にも話したが、秋と冬に休んでいたからだ。

 

そのタイミングで休んだ理由はあるか?

『RAP』を夏に出して、その年の秋か冬に制作に入って、翌年1月に『折り返し地点』を出した。その時点で『折り返し地点』をアルバムのシングルカットにするということは心の中で決めていたので、その頃にはすでに作業が活性化されていた。そして「Do The Right Rap(※4)」で春まで走り、イベントや外部の作業で6〜7月を消化し、9月の落葉の頃になって以前制作したトラックを聴いたら、満足のいかないものになっていた。これは何だか……明らかに僕がこの制作を始めた動機は『RAP』に対する大きな不満を消すためのものだったのに、それが満たされないまま気まずさが残っていた。そのまま進行すれば再び同じ愚を犯すだろうと思い、その時からは本当に冗談ではなく歌詞を1行も書かなかった。

※4 Do The Right Rap:P-typeが2014年に主宰したコンペティション・キャンペーン。アメリカで好んで使われる「Do the right thing(人として正しいことをする、真っ当なことをするの意)」という言葉から来ている。ラッパーたちが「どのようなラップが真っ当なラップか」をテーマに、指定のビートにラップに乗せて競い合い、Jerry.K、Deepflow、Paloalto、Minos、Hwajiが審査員として優勝者を選定。収益金は任意の団体(ヒップホップファンによる投票により選定)に寄付された

 

その期間は何をして過ごしたのか?

ただ考えていた。「何が足りないのか?」と。ほぼ3カ月くらい、1行の歌詞も書かなかった。「何だろう? 俺は今、何に満足できないんだろう?」と考えていた。むしろ『折り返し地点』や『Do The Right Rap』のような曲では、リズムを作るシステムそのもので自分がより革新的になったと考えていたけど、リズムを変えただけでは足りないのか? 本当に悩んだ。そのように考えるだけで秋を過ごした。

 

それで答えは見つかったのか?

その時期が過ぎる頃合いに、何かひとつ悟った。これまで僕は、自分の言葉を作品の言葉として見てきたのだと。だから僕の言葉は精製されている単語でなければいけないし、様々な状況の変化を考慮した単語を使うべきだと思っていたのだ。一言で言うと、僕の言葉とは「とことん磨きあげた単語たち」だった。結局「パッと出てきてパッと吐いたような感じ」が不足していたのではないかというポイントに達したのだろう。そして、不思議なのはまさにその時、Chaboomが『Original(※5)』を出したということだ。「クソ、これだ!」ってなったよ(笑) 僕が悩んでいたその言葉を、Chaboomが持ってきたのだ。Chaboomのアルバムを聴いて、満足値が生じるのを感じながら、僕が今抱えている自分の中の問題が間違ってないことを悟り、その時から少しずつ悩みが解けたようだ。実際にそのあと歌詞がグングン書けるようになった。『光化門』や『이방인(異邦人)』の歌詞は本当に簡単に簡単に楽しく書いた。

※5 Original:2008年から活動しているラッパーのChaboom(チャブム)が2014年10月にリリースした初のソロ名義アルバム。韓国らしく、また、男臭いスタイルで知られている

 

P-typeの以前のインタビューを見ると、アーティストとしてのP-typeもいるが、技術者としてのP-typeもいる。技術的な悩みを常にしてきた代表的なアーティストのひとりではないだろうか? 今はどうなのか? 技術的な部分の悩みは終わったのか?

それに対する答えは、習慣のように、息をし続けるように悩み続けなければならないということだ。今のリズムパターンを一度変えて、使っている言葉の種類を一度変えて、それで僕の中の革新が終わったと言うなら、僕はその日に死ななければならない。アーティストというのはそういう存在だ。「どこを変えよう? 自分をどう手術しよう?」僕の中で、あるいは外側から見てそのような不足点を見つけ出すのは、僕自身がしなければならない作業だと思う。

 

1stアルバムの当時は本当に激しくなかったか?(笑)

もちろん『Heavy Bass』の頃は(シーンの中に)そんな悩み自体が皆無だった時代だった。だから『Heavy Bass』を通して「そうやって悩むのは正しいです、皆さん。皆さんはそうやって悩む必要があり、10年後に悩んだ結果が出てくるものであり、故に韓国ヒップホップもアメリカのヒップホップのようにかっこよくなります」と言っていた一方で、今の状況では、実際ライミングくらいは誰でもできることじゃないのか。本当に笑えるのが、ライミングはその当時のSNP(※6)をはじめとするシーンを形成していた数名がそうやってしつこく取り組んで成し遂げた成果であるにも関わらず、あの当時ライムを使わなかった人たちも、今はこっそりライムを使っている。だけどその誰もが「お前らのおかげでライムを使っているわけではない」と言う。そういうことはそれとなく起こり続けることだし、恩に着せるのもおかしいから、僕はこの程度ならいいとみなしている。「それで結構。もうみんな努力はしたね、結構」ということだ(笑) 今となっては、再びその必要性を話すのはあまりにも恐縮する。そして個人的には、僕に関するプレスリリースにライム云々を入れるのも嫌だ。もうやめてもらいたい(笑) あまりにもライムにフォーカスされると、他の長所がないように聞こえるよ(笑) 僕が会社のスタッフたちに対して不適切な言葉だと指定した中に『第一世代(※7)』などいくつかの単語があるが、今は「ライム」を追加する必要があるようだ(笑)

※6 SNP:1994年にPC通信『Nownuri』に伴って発足した韓国のヒップホップクルーで、1999年に正式に結成されたが現在は自然消滅状態。Defconnを中心に運営。P-typeの他にVerbal Jint、Wheesungなどが所属

※7 第一世代:1990年代初頭、韓国で一番最初にヒップホップを始めた世代を指す。第一世代の定義には諸説あり、ソテジ、Drunken Tiger、DJ DOCなども挙げられるが、アンダーシーンの代表格といえばやはりGarion(MC Meta、Naachal)。P-type、DJ Soulscape、Verbal Jintなども該当するが、ラッパーたちはこのように世代を区分することを嫌がる傾向がある

 

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確かに今回のアルバムでは、一番手慣れて得意なことに回帰した感じがある。『RAP』以降に感じた音楽的な考えについて詳細を教えてもらいたい。

『RAP』を出してから、あらゆるインタビューで謙遜するしかなかった。『Heavy Bass』や2ndアルバム『The Vintage』の時は、僕が向き合っているポイントは明確だった。『Heavy Bass』の時は「なぜこんなふうにしかできないんだ? こうやるべきだろう!」という思いで、教科書を出すんだという意図で走っていたつもりだったので、『Heavy Bass』はオリジナル以外を見ていなかった。それ以降のアルバムは、いわば「もう少し原点に戻ろう」だった。「ヒップホップという名前の中に閉じ込められすぎていたのではないか」と悩んだ。むしろそれはラップというヴォーカル・テクニックを多様に適用させようという試みだった。その後5年間、会社員生活をした。そして『RAP』は5年ぶりに復帰するアルバムとなった。だけどそのテーマに向けて僕が何かを目指して、何かを証明する必要があって、主張すべきだということ自体について、「俺にそんなに力量があるか?」と疑った。それにも関わらず、僕に自信があるのはラップしかなかったし、だからタイトルも『RAP』としたのだが、ある意味プロダクション面では一貫性ないしは指向性を出すこと自体が曖昧な状態になってしまった。そして僕は僕なりにその状況に適応するため、恐らく自然と満足度が落ちる結果を生んだのだと思う。一方で『Heavy Bass』以降、『The Vintage』も『RAP』も「ヒップホップという単語を自分の胸に刻みながら作ったアルバムだったのか」と言うと、そうでもなかったようだ。『RAP』の曖昧な点は、結局そこにあると思う。いわば「お前はミュージシャンとして復帰するつもりか、それともヒップホップ・アーティストとして復帰するつもりか」という部分で、自分の答えを下せなかったのだ。『RAP』は「ヒップホップのキーワードを使用しているが、俺は果たしてヒップホップをしているのか?」という疑問を生み、そこからは「俺を手術しなければ答えは出ないだろう」と思った。

 

『折り返し地点』という先行公開シングルが、その分かれ道で答えを出した時点だったのか?

そうだ。先行シングル『折り返し地点』をアルバムの主要曲としたのは、ヒップホップ本来の姿で自分自身を戻す意味が大きかったからだ。その時点では、僕が最も大きく変わった部分だった。ヒップホップとして自らが認識して、しっかりとした態度に戻ること。

 

では、そのすべての文脈から今回のアルバムはどうなのか?

そのような点では、今回のアルバムは適応を終えたアルバムだ。ただし「最近の味見は全部やったし、何なのかは分かったけど、俺は昔やっていたことをしているよりも楽しんでいるか?」という思いもある。

 

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問題の2ndアルバムについて。『The Vintage』は見方によっては別の意味で1stアルバムとも言える趣旨で始めたアルバムではないか? それ以降、そのプロジェクトの流れが途絶えた理由はあったのか?

ここに来て、その当時の自分の発言や新しい歩みを始めた頃を振り返ってみると、いくつかポイントがあるようだ。ひとつめのポイントは、『Heavy Bass』を本当に「ヒップホップ、ヒップホップ、ヒップホップ!」という感じで作ったので、「またそれをやらなければ」とする典型的な2ndになったということだ。その次のポイントは、何度も話を繰り返してきたように、ある時サンプルを収集するため音楽を聴いていたら「なんで俺はこの曲を使って作らなければならない? これを一から作るのと同等のアーティストとして生きていけるのではないか?」という思いがある時点で出てきた。そしてそれは、いわば根幹に近づいていくという意志だった。3番目のポイントは、ヒップホップであることを、当時の僕でさえさすがに「ライフスタイルであることを認識していたのか?」という問いである。そして振り返ってみると、その発言をしていた当時の僕は、このジャンルの音楽をひとつのテクニカルフォームとして認識していたわけではないようだ。ひとまずその部分は、明らかに間違っていた。最後に、あれは僕がちょうど30歳の時だ。ヒップホップの世界で10年生きて、30代を迎えた人たちの心理的、社会的な乖離が複合的に絡み合っていた。実際は僕が勘違いしていた部分もあったが、ある面では、総体的にビジョンが見えなかった。「ビジョンが見えなかった」というのは、単に「稼ぎがない!」という意味ではない。(周りの人や大衆の)誰もがヒップホップをカルチャーとして認識せず、音楽的な形式としてのみ認識していたのだ。ところが僕たちの世代が『B-BOY PARK(※8)』をしていた時は、実際そうではなかった。だけどある瞬間、B-boyたちとの乖離を感じて、グラフィティ・アーティストたちから遠ざかり、そんな中で親しかったB-boyの友人たちが現場を去って行ったが、それにも関わらずBlack Eyed Peasは成功を収め、地下鉄の駅では今やラップ・ミュージックを聴くことが珍しくなく、韓国では『8 Mile(※9)』ブームが起きていた。そんなとんでもない光景を見て、「ああ、俺がここでライフスタイル、ないしはカルチャーフォームとしてヒップホップに根を下ろすという課題は、果たして適切な挑戦なのだろうか? 10年間もやってきたが、俺は適切な結果を手に握っているだろうか?」と考えるようになった。不器用な判断を下した。「ダメだ。この国の人間は文化という言葉自体の意味も知らず、何の考えもなく、知ろうともしない」という判断をして、「ヒップホップは文化として持続する可能性がないようだ」と僕自身に宣告を下した。だけどそれが30代を迎える自分の人生と絡み合い、とてもネガティブなニュアンスになってしまった。「韓国的な情緒の文化フォームではないと思います」という発言が「暴力的な雑種文化(※10)」という発言になって出てしまったのだ。

※8 B-BOY PARK:1997年から毎年夏に代々木公園で開催されている日本最大規模のヒップホップ・パーティー。韓国でも2005年から2007年まで開催された

※9 8 Mile:2002年に公開されたアメリカ映画。黒人と白人の居住地を分けるラインとなる『8マイル・ロード」を舞台に、フリースタイルバトルをテーマにした作品。白人ラッパーであるエミネムの半自伝的な内容となっている。韓国にもこの作品に影響を受けたラッパーが多い

※10 暴力的な雑種文化:ニューアルバム『Street Poetry』の1曲目の曲名でもあり、このインタビューのタイトル自体も「暴力的で雑種的ではなくローカライズに成功したか?」となっているが、P-typeが2008年に一度ヒップホップ・シーンを引退した際、「ヒップホップは暴力的で雑種的な文化だ」と言って業界を去り、San Eから痛烈なディスを受けた。そのディスについては私がホストを務めるネットラジオ番組『Little Hongdae Cafe』の『第3回 San E & B-Free ディス特集』を参照ください

 

結局それもまた、ローカライズに対する話では?

そうだ。だから結局は「韓国化させるのは難しいと思います」という発言に過ぎなかった。その後は30代として社会的な乖離を消すため、会社員生活を熱心にした。

 

いずれにせよ、再びヒップホップ・シーンに復帰した。

現場に戻ろうとした時、僕が反省して気付いたのは、「持続する可能性がない」と思っていたずらに放り投げた石がまだ生きていることを見た瞬間だった。とても粛然となり、この現場を守ってきた人たちに対して深い尊敬の念を抱いた。今も後輩アーティストたちに対して「僕よりも優れている」と話すのも、そのような部分がある。特にDeepflowやPaloaltoなどの場合は、レーベルを率いているではないか。このような友人たちがいたから、この5年間も存続していたのだ。だから5年前の僕の判断は、明らかに間違いだったのだ。

 

2ndアルバムの話を仕上げなければならないが(笑)

まあ、だから当時の僕は「文化として、あるいはライフスタイルとして、生活として、これを目指して生み出さなければすべてがフェイクだ」という結論を下した。すでに頭の中でそのような判断を下した状態で、ヒップホップを標榜することがなかった、いわば「別の何かをするべきだ! ただし俺はここでラップというヴォーカル・テクニックだけは持ち合わせて出ていくぞ」という状況だった。だけどもし僕がそこで無理にそれをヒップホップだと言い張ったら? それは僕からしてもゴミだ。ある者が尋ねる。「2ndアルバムでもラップをして、十分フレッシュなライミングを見せてくれたが、それならブラック・ミュージックのカテゴリーとしては見れないか? なぜあえてヒップホップではないと言うのか?」と。僕は未だにそのような状態でヒップホップをしてはいけないと思う。

 

とにかく当時、P-typeを支持する側と非難する側、両方の対立が先鋭化した。

だから当時、何が面白かったかというと、アルバムが出た翌年に韓国大衆音楽賞(※11)のヒップホップ部門の候補に挙がったのだ。僕も当然ながら知らせを受けたが、その時僕は「これはヒップホップではないから降りたい」と伝えた。僕は自分自身に反する人生を生きることはできないから。ヒップホップとして論じられること自体がヒップホップに対しても自分に対しても良くないと思い、降りたいと言った記憶がある。結果的に降りたかどうだったか覚えていないが、そのようなハプニングがあった(笑)

※11 韓国大衆音楽賞:2004年より毎年開催されている、韓国で最も権威ある音楽賞。日本のレコード大賞よりも部門の幅が広く、韓国版グラミー賞と称されている

 

では、この機会に「暴力的な雑種文化」という言葉を再定義できるか?

いずれにせよ、ヒップホップが暴力性、ないしは雑種という属性によって生まれた文化だという考えは今でも固守している。一部の人は批判するだろうが、暴力を「競争だ」という言葉で置き換えるのは果たしてどうだろうか? 世界のすべての競争は暴力である。そして、ヒップホップがそのような暴力的な属性を持っているということは変わらない。一例としてバトルをするのがここだけしかなく、それがヒップホップの重要な属性だと考えている。「雑種」という言葉も、やはり副次的な意味で下げて呼ぶ「雑野郎(※ろくでなしの意)」の「雑」との同音異義語による混乱で生まれた誤解だが、雑種とはハイブリッドのことであって、2つ以上のものが混ざり合って良いものとなる。僕は実際にトヨタのプリウス・ハイブリッドに乗っているが、ハイブリッドだからといってあの車の質が低いとか、比較的低く呼んでもいいという車ではないじゃないか。そして実際に中華料理店でも、ごった煮のご飯はちゃんぽんご飯よりも高い!(笑) 「雑」が必ずしも卑下することを意味するわけではないのに、当時のその言葉はたまたま卑下した発言になってしまった。もちろんさっき言ったように、当時の絡み合ったヒップホップに対する思いに僕自身の事情が加わってネガティブなニュアンスを増幅させてしまったので、明らかに僕の責任もあると思う。しかし「この言葉自体が果たして間違っていただろうか?」と考えてみると、「暴力的な雑種文化というものが韓国で可能でしょうか?」という、この持続の可能性の悩みはまだ尽きていないのではないかと考えている。

 

面白いのは、その当時の話題を今回のアルバムに再び取り入れて、直接克服しようとする姿を見せているという点だ。このアルバムは「コットン畑も見れなかったし、肌の色もやはり変えられない」というヴァースで、アルバムの本質の釘を刺して始まる。個人的に感じたのは、P-typeの言う韓国ヒップホップのパラダイムが「海外のヒップホップに追いつく」という1フレームから広げてみると、結局またオリジナルの韓国ヒップホップに帰結したという話に聞こえた。

俺はコットン畑も見れなかったし、肌の色もやはり変えられない。コスプレなんてのは女どものオッパのこと。ここからはしっかり釘を刺して - 폭력적인 잡종문화(暴力的な雑種文化)

そのとおりだ。再びローカライズの話になる。2008年当時に発言した「暴力的な雑種文化」という言葉の核心は、重ね重ね言うとローカライズと持続の可能性に関する問題提起だったので、再びその言葉を取り出すに当たって当然のことながら当時の話に戻るしかなかった。正確に言うとローカライズの問題だ。よく僕たちがしている議論ではないか。ヒップホップ・シーンを取り巻く、あるいはヒップホップ・シーン内で行われるその議論は、結局僕の目には「ローカライズされているのか、あるいは単に追随するしかないのか」という問題に映った。多様に見えるスタイルも結局は海外の模倣だったり、あるいは追いつくことだけを見ていることへの悩みが大きい。ところが実際は、個人的にはそこまでは考えていない。そもそも僕は『Heavy Bass』を作っていた時の姿勢も「しっかりついていこう」だったが「これ以外にあるか?」と思ったりもした。しかしそれと同時に、いわゆる批判されるべきコンテンツが出てくるたび「どこが間違っているのか」というジレンマに陥ったのだが、よく見てみると、相変わらずあの部分とまったく同じだった。『ヒップホップらしいヒップホップ』で言っていたあの内容と……。

 

俺は疑問に思う。革のストライプが同じにはなり得ないことを。ただ息を吐くのみだ - ヒップホップらしいヒップホップ

僕たちは黒人ではないが、ヒップホップは彼らが作ったので、彼ら独自の属性を持っているという話だった。だから「果たして僕たちにとっては、この文化に黒人のようについていくか、黒人のカテゴリーから完全に抜け出してしまうか、2つの選択肢しかないのだろうか?」と考えた時、僕としては、それはないように思えたということだ。「大韓民国は今でも十分にひどいが? 朝鮮半島全体をゲットーだと設定すれば、もっと多くの話ができそうだが?」という考えに達して、僕はその部分で自分なりの選択肢を出したくて、問題点を指摘したいと思った。今回のアルバムは全体的にヒップホップの話、世界の話、僕の話をしているが、結局その帰結はローカライズを試みた理由だ。

 

その一方、「暴力的な雑種文化」というのは当時の発言であるため、自分自身を自制していたニュアンスも与える。アンダーグラウンドを守る役割をベンチマークしている今、改めてヒップホップを否定したという過去が資格論を突きつけたらどう思うか?

まあ、そういう判断をすることもできるだろう。しかし、結局それに対する答えは僕が生きていく上で返していくほかない。僕はすでに30代に入り、一度考えてみた問題ではあるが、その汚名を否定するつもりはない。とにかく僕のやったことであり、ここにきてその頃の自分の言葉を「実はヒップホップに対する否定ではなかった」と上書きしてしまうのは嫌なんだ。単に僕を追い出したい人たちは、僕を見なければ済む話だろうが、僕が自分のしたことの責任を取るとすれば、それは僕が再びラップを正しくうまくするほかないようだ。まるで前科者を眺める視線と同じだ。だけど前科者は善行をしたり、正しいことを行うことはできないのか? あるいはその義理を妨害する人々に対して、正しい声を発することができないのか? 「前科者の烙印を一生抱いて、ただ隠れて静かに黙って生きろ」という視線はとても間違った考えだ。僕は「だからこそ」うまくできるのだと思う。文字通り更生だ。韓国ヒップホップを否定したという部分を甲論乙駁したいという考えはない。ただし「だからうまくいったんだ。暴力的でないように、雑種的でないように、ローカライズまでうまくやったか?」と問い直したい。

 

「血筋といえば、今や俺の影だけ」……第1世代が見せてきた韓国ヒップホップとは全く別の方向に流れていると言っているのか? 韓国ヒップホップには血統がないと感じているのか?

その部分についてより多くの質問が展開される前に、一度適切に辿って行かなければならないが、ひとまず『네안데르탈(ネアンデルタール)』という曲はヒップホップ・シーンの話ではない。その連続する文脈から見るとやや探りきれていない部分があって、むしろ歌詞が全く書けなくなる。『ネアンデルタール』は芸術界全体を隠喩した曲であり、「デジタル化されていき、芸術という伝統的価値がだんだん衰退しており、昨今の世相では、この時代を生きていく芸術家たちは絶滅を迎える種なのではないか」という思いから開始したテーマだ。そのため、実際にMinosが「僕はこれをヒップホップ・シーンに対する話としてバリエーションして書きます」と言って歌詞を書こうとした時、僕はストップさせた。このメタファー自体が、実は迂回の角度が非常に大きいメタファーだが、Minosがそうやってバリエーションしてしまうと、こじれにこじれてテーマの意識がぼやけそうだったからだ。だから「お前もただここに従え」と釘を刺して作業した。だからこの話は少し違った角度から眺める必要がある。芸術界全般のことを言っているのであって、ヒップホップ・シーンの特定の状況にフォーカスした内容ではない。

 

実は僕はJJKが一昨年リリースした『種の最後』という曲を連想した。僕はあまりにもハマり込んでしまったのか (笑)

ずっと続いている文脈で読むとそういうこともあろうが、実はそう映らないことを願っていた(笑) 実はその部分に対する手掛かりをもう少し顕著に描いて良かったのだが、個人的には曲自体を謎のように残したかったので、ササッと謎かけのように書いた。

 

「Neander, Neumann, Newman」という言葉は何を意味しているのか?

絶滅を招く情熱新人類 - 네안데르탈(ネアンデルタール)

この曲は「Neander, Neumann, Newman」という言葉に多くの糸口が含まれている。一般的に、ネアンデルタールで発見された古代の人種を「ネアンデルタール人」と呼ぶが、実際には「ネアンデル」は地名であり、「タール」とはドイツ語で「谷」という意味に過ぎない。ところがこのネアンデルという地名がおもしろいのは、その地域から輩出された作曲家で詩人の「ネアンド(Neander)」という人の名前から取ったということだ。ネアンドという名前は、ギリシャ式とドイツ式の表記で「ノイマン(Neumann)」と書く。そしてさらにノイマンという名前は、アメリカ式の発音では「ニューマン(Newman)」になる。新人類になるだろう。この3つの名前に捕捉をしてフックを書いた。だから絶滅(ネアンデル)を招くノイマン(芸術家)の情熱がニューマン(新人類)を作り出したということなのだが、この関係を思い浮かべてみると、実はこの話はヒップホップ・シーンの中での話を映し出したというよりは芸術界の話を照らしている。だからインターネットの風が吹いてきて、すべてのものが公共財化されていっているのではないか。美術はそのように死に、文学もそのように死んでしまった。出版社は扉を閉め、インターネット化された文学作品が幅を利かせている状況だ。ただ、それは悪いことなのではなく、時代の流れだということだ。音楽もやはり同じだ。ちょっと前にPurple Record(※12)とRecord Forumが店を閉じた。Mihwadang Recordsもとっくに閉店して、今はヒャンレコードひとつだけが残っているが、ということはつまり、この近くではもはやフィジカル・マテリアルは終わったということを意味する。

※12 Purple Record:韓国ソウルの弘大(ホンデ)にあったブラック・ミュージック中心のレコード/CDショップ。惜しまれつつ2015年3月に閉店した(オンラインショップは残っている)

 

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時代の流れはそうだが、この曲は淡々とそれを受け入れるような内容ではなかった。そのような流れを内心では残念に感じているのではないか?

フィジカルなものが残っていた時、僕たちにとっては、実は様々な価値があった。プレゼントすることができ、借りて聴くことができ、集める楽しさがあったのだから。もちろんデジタル化されてMP3になった時までは、ダウンロードして集める人もまだいたが、今では皆がストリーミングに移った。ストリーミングに移るということは、いわば空気のようになるようなものだ。誰でも飲むことができ、誰でも通り過ぎていくようになるということだ。だから芸術の価値自体が変わるのだろう。それが墜落なのか上昇なのかはまだ価値判断することができないが、いずれにせよ、その価値は変わった。つまり音楽は今や、お金を払うことで享受できる僕有化された資産ではなく、公共の資産になってしまったのだ。そうした時、これを生産する芸術家の立ち位置は完全に危なっかしくなり、「絶滅を目前にしている」と見ているのだ。

 

その代わりになるものがあるとすれば?

修正資本主義では、社会主義の僕有財産自体を否定しているため、それを公共化させた国家が計画経済に入って支援してくれる。一方、北朝鮮では映画人たちに年金を与え、俳優たちに年金を与える。社会主義ではこのようなものがとても有効になっている。もちろん「社会体制を維持存続させるのに一助しろ」というディールを掲げるが、とにかく「国家が芸術家を保護する」という概念は、社会主義ではおなじみの概念であり、実は修正資本主義で受け入れられなければならない部分なのだ。ところが韓国では、すでに公共資産だったものさえも民営化させる。国の保護を受けても足りないのだ。このような一連の状況が、ネアンデル種が絶滅した過程と似ていると思った。

 

『光化門』という曲にはそのシステムの話が出てくる。特に「半強制的に納得したこのシステム」から「ピラミッドのような建物、その中ですぐに染まったり、老いていく子供だった俗物たち」につながる部分はとても印象深かった。

俺の夜とは関係ない、傍観した他人の暮らし。半強制的に納得したこのシステム。システム上にシステムが生んだシステム。権力が街にミメーシス(※擬態の意)したピラミッドのような建物。その中ですぐに染まったり、老いていく子供だった俗物たち。面倒でも目を開けて、ギクシャクしながら耐える。果たしてこれを行うのが利口なのか。一日は惨めで、別の一日は卑怯。今日、俺は昔の俺に対して潔いだろうか - 광화문(光化門)

僕たちは皆、半強制的にシステムに納得している。そのシステムを扇動したり、あるいは支持したり反対したりするのとは関係なく、僕たちは税金を払っていて、システム上に作られたものに禄を食みながら、システムの中で保護を受けて生きているということだ。反対している人でさえもすでにこのシステムの中にいて、いわば半強制的に納得するしかない状況だということだ。そのすぐ前の歌詞が「俺の夜とは関係ない、傍観した他人の暮らし」なのだが、実際のところ、その瞬間にすでにシステムに納得しているということであり、僕たちは誰もがシステムの中にいながら、そのシステムを受け入れるのも拒否するのも曖昧な行き場のない民衆の暮らしだ。この状況はいわば誰かを批判することでもなく、誰かを相手に堂々とすることでもない状況だということだ。そしてこのように複雑で微妙な感情が最も多く衝突したのは、去年の一年間だったのではないか。韓国の国民みんなが、セウォル号事件(※13)をはじめ、システムのリーダーたちが行うことを見ながらそうやって衝突する一年を送った。受け入れることができないようなことにもかかわらず、我々はそうやって納得しながら暮らしていたのだ。僕が今夜、光化門にろうそく(※14)を持っていけば、僕は明日出勤ができなくなるだろうが、世の中はくつがえされない。だけどその現場に行かない人のことを僕たちが非難することはできるか? あるいは行かなかったが、誰も僕のことを非難できないと言って堂々とできるか?  誰もそんなことはできないと思う。そしてこのように複雑で微妙なこと自体が、21世紀の大韓民国の真ん中にある現実であり、僕が処した現実であり、他人の現実だ。僕はこのすべてを、この曲を通してただ告白したかった。包装はしたくなかったし、抗弁したくもない。この曲ではありのままであることが一番重要だったようだ。

※13 セウォル号事件:2014年4月16日に韓国の大型客船「セウォル号」が転覆・沈没した事故。300人を超える死者を出した。運航会社、船長・船員、政府など関係者すべての対応が悪かったため、国民全体の怒りを買った

※14 光化門にろうそく:ソウル中心部にある光化門広場は、大規模な市民集会の場となることが多い。大勢の国民が集まり、ろうそく(LEDのものが多い)を持って政治的なデモを行うのが特徴的

 

光化門という場所が持つ特別な意味はあるか?

実際に光化門という場所は、大韓民国の摩天楼が勢揃いしている場所だ。国家の中央システムがすべて集中していて、大企業の建物が入っていて、建物がピラミッドよりも雄大に威厳を示している場所だが、そこで見えるすべてのことを言っている。まるで権力がミメーシスしたような、つまり権力が街に形象化されたような様子のことだ。 ピラミッドというのがそもそもそういうものではないか。王はどのみち地下に埋めらるが、その権威を象徴するため、いたずらに高い摩天楼を建てるようなものだと見ている。僕たちがよく高層ビルに権威を感じる理由も、ペントハウスに上位1%の印象があることも、なぜか社長室は高い場所にあるような気がすることも、すべてそのような理由だと思う。そのビルが、まるで権力が街にミメーシスした形状のようと思った。ではその中にいる人たちは? 大企業に就職したって人生のゴールでもないのに、永遠に生きることができるわけでもないのに、純粋だった過去を追憶しながら俗物として老いていくその姿に後ろ指を指して非難するのではなく、誰もがそんな人生を生きているということを伝えたかった。それで最後のラインがああなった。「一日は惨めで、別の一日は卑怯」だと。

 

とても大きなフレームで書いた歌詞だが、我々はヒップホップのコミュニティであり、とにかく僕が見た時は小さなフレームでその部分を解釈した。むやみな憶測でしかないが、BrandNew MusicのP-typeを移し出しているかもしれないと思った。レーベルもやはりシステムではないか?

それはかなり新鮮な解釈だ。全く考えもしなかったが、そのように置き換えても間違いはないようだ(笑)

 

韓国ヒップホップ・シーンでマルチを志向するレーベルが持っている認識は多様だ。BrandNew Musicの中でのP-typeはどうなのか?

「どんな主張をしたのか?」という質問のようだ。まあ、そのことを考えながら書いた歌詞ではないが、そのことを置いて話してみると、それも合っているようだ(笑) とにかくシステム対個人という関係を置いて話してみると合ってる。そんなこともある。だが実際にはこうだ。BrandNew Musicで音楽活動をする上で、あるいは創作活動をする上で、どんな作品を出してくれないかというような外圧はない。ただし全く圧力がないわけでもない。それを圧力と表現すること自体がおかしいが、実際に相談をしないのもおかしい。そんなことなら何のために契約するんだ(笑) とにかく社長やスタッフと主要曲をめぐって相談はするが、残りの曲については僕の年齢もあって、タッチしたり、あるいは僕に多くの負担を与えようとはしない。むしろとても配慮してくれる。さらに、この国ではミュージシャン自身がポップ寄りでないと調和しないということは会社が誰よりもよく知っている。それでも主要曲を出すときは、いわゆる大衆性と呼ばれる、より多くの人にアピールすることができるかどうかくらいの判断は一緒にする。契約をした瞬間、それが責任であり、義務だからだ。

 

それでも『光化門』を主要曲に選択した理由はなにか?

実際に会社は『光化門』を歓迎しなかった。Rhymerさん(BrandNew Musicの社長)は「必ずこれをやらなければならないのか?」と言って、『光化門』をただの収録曲にして主要曲から外そうとした。だが僕は死んでもこの曲はオープンにしなければならないと言って、この問題でひどく悩ませた。物々しいクソ意地を張った (笑) 「36歳のカン・ジンピル(※P-typeの本名)が4枚目のアルバムを出す時点で、この曲は一度出しておかなければなりません」と。 この曲を収録曲として収めておいた状態で別に主要曲を用意するのは僕の考える脈絡ではなかったし、P-typeというテキストの文脈上でも正しくないと思ったからだ。そんな紆余曲折ぐらいはあるのだ。ところがそれは誰もが経験する紆余曲折だと思う。社会生活をするすべての人が経験することだ。そしてその話について言えば、さっき捕捉した話になるが、社会生活をする誰もがシステムと自分自身の自立の間で悩んでいないか、その程度の悩みだということだ。だからと言って「俺はこのシステムをぶち壊す」とか「みんなこのシステムに順応してるじゃないか? 黙って生きろ」なんてことでもなく、「誰もが悲惨だし、誰もが卑怯だ」と誰かが言うべきなんじゃないかと考えただけだ。「せめて革命家にはなれなくとも、アーティストならそうするべきではないか?」ぐらいの考えだ。もちろんとても新鮮な解釈であり、適用可能な見方だと思う。

 

『ドンキホーテ2』という曲は、原曲(※15)を損なわないように非常に気を遣った感じだ。原曲が10年を超えて持っているオーラが負担ではなかったか?

その通りだ。実際、曲のタイトル自体からして負担になるほかなかった。デビュー11年目になっても、再びソフォモア(※2年目の意)を感じるしかないようなタイトルではないか(笑) 実は『ドンキホーテ2』を作るという試みは、BrandNew Musicに入ってカムバックして以降ずっとしていた。2年以上シングルを制作しようという話があり、さらに「Wheesung(※16)にも交渉するできる!」というRhymerさんの公言もあったが、実際にそれとは違うオーダーを受けたため、どのように『ドンキホーテ2』を作るべきなんだ?」という負担になった。

※15 原曲:P-typeが2004年に出した1stアルバム『Heavy Bass』の主要曲『돈키호테(ドンキホーテ)』のこと。発表当時、評論家と大衆の間で大絶賛されて韓国ヒップホップの歴史的な楽曲となった

※16 Wheesung(フィソン):2002年にYGエンターテインメントからデビューした韓国を代表するR&Bシンガーの一人。P-typeの『돈키호테(ドンキホーテ)』にフィーチャリングしていた。また、この記事の<※6>にある通り、P-typeやVerbal Jintと並んでSNPのメンバーであった。ちなみにVerbal JintもBrandNew Musicの所属

 

負担というのは、例えばどんな悩みか?

例えばこういうことだ。最初の悩みは「ヒット曲だったからヒットだけさせればいいのか? それとも昔のクラシックだからウェル・メイド・ヒップホップにすればいいのか?」ということだ。しかしどっちに転んでも危険だと思った。過去の栄光を追って多くの人々が聴くことのできる曲を作ったらドンキホーテという名前に泥を塗ることになるし、かと言って本当にかっこいいヒップホップで終えようとすれば塵となって終わるような……そんなジレンマがあった。これは結局すべてのアーティストが悩みを抱える芸術性と大衆性との間のジレンマだが、『ドンキホーテ』は、実際にそのバランスをとてもよく捉えた曲だった。そんな圧迫感のために、作ってはひっくり返し、歌詞を書いては消しを2年半の間繰り返した。

 

それで完成できた糸口はあったのか?

アルバムが出る前に『ドンキホーテ2』がちょっと良くできて、絶対に先行公開にしろというRhymerさんからの注文があった。だけどそうやって先行公開的な曲を作ろうとすると、どうしても『ドンキホーテ』のようにならなかった。だから途中でただ考えを変えた。置いておいたのだ。そしてビートセレクトまでやった。元々は別の内容を書く予定だったビートを『ドンキホーテ2』にしたわけだ。歌詞もやはり悩んだ。10年前の『ドンキホーテ』は全体にわたって抱負を明かす歌詞を書くことが可能だったが、10年ぶりにまた抱負を明かすのも笑えるし、その一方では「果たして10年前に『ドンキホーテ』を歌った俺について、人々が感情移入できるような成功を俺はしているのだろうか」とも思った。ショックだったのは、3rdアルバムの制作当時、Illionaireの子たちとご飯を食べたのだが、あの子たちに「P-typeさんの1stアルバムはものすごくたくさん売れたじゃないですか。その時にちゃんと支払いがされていたら、P-typeさんはこんなに苦労しなくてもよかったんじゃないですか?」と言われたのだ。4万数千枚が売れたから、支払いをまともに受けていたら、軽く見積もってもKeeprootsさんと僕は1億ウォンずつは手にしなければならなかった。ところが一円も取り返せなかった。

 

理由を訊いてもいいか?

会社がなくなった。

 

うーん……。そんなこともあるのか。

会社が空中分解となり、誰かが支払いを受け取ったのだが、その人が見つからなかったのだ(笑) 当時はそのくらい不備が多かった。著作権法すらも曖昧だった頃で、僕たちはその当時、著作権者の登録もしていなかった。当時25歳だったP-typeは何も考えることができず、「俺に弁護士を雇う金がどこにあるんだ」と言いながら縮こまっているばかりで、当時はKeeprootsさんと2人でただ「そうだ、デビューがうまくいったからこうなったのだ」と言いながら焼酎を飲んで終わったのだ。それから僕たち2人は土方を走った(笑) 未練だし、賢くできなかった時代だ。とにかく当時のその成功はそうやってただ飛んでいってしまったが、人々から見たら成功したシングルであり、成功したアルバムであるという状況だった。実際にあのくらい売れたなら、ジュエリーより多く売ったという成功に相応しいが、10年後の現実の僕は、人々が思うほどの人生を生きているわけではいないため、そのような乖離を僕がどのように扱えばいいのかと悩むようになった。しかし今のみすぼらしさと貧窮さを表現しようとすると、僕がそこまでドン底にいるわけではないからそれは嫌で、だけど過去にすごい曲を作ったと過大評価するほど僕の人生がうまくいってるわけでもなく、偉大だと言うにはみすぼらしく、みすぼらしいと言うには偉大だという心境だろうか。だけど結局これについて悩むことが、過去にあの曲を出した僕の現住所だという考えに至った。それで『ドンキホーテ2』では悩む自分を気軽に表わそうとした。

 

ボーカルの交渉はどんな基準だった?

『ドンキホーテ2』の場合はヴォーカルフックを付ける必要があったし、主要曲として作るために聴きやすいラインを作った。最初は当然のように男性ヴォーカルを選んだ。そうするうちにこの曲を置いておくことになり、収録曲として作ろうと思った時点ではある程度自由になっていて、女性ヴォーカルを入れてみようと考えるようになった。なんとなくジャジーなバイブスが入るのも似合いそうだと思って。僕たちの頭の中に最初のTalib Kweliの『Get By』や、あるいはDilated Peoplesの『This Way』のような、Kanye Westの初期のスタイルのリファレンスがあった場合、「ここに女性ヴォーカルを入れましょう」という視点だと、僕たちが考えていたKanye Westの初期ではなく、Okay Playerのスタイルが出てくる可能性もあると思った。そんな中、Barberettesのメンバーのキム・ウネさんが完全なるヒップホップのオールドファンだということで、気楽に容易に作業が実現されたのだ。さらに『ドンキホーテ2』だと言ったら、ウネさんは感激の涙を流した(笑) 初めにヒップホップ・ファンだと聞いた時は常套的な言葉だと思ったのだが、本当にディープなヒップホップ・ファンだったので驚いた。それでウネさんにメロディーラインの主導を任せたが、仮レコーディングをした時に本当にイメージ通りのままのものが出た。結果的に期待していた以上のキャスティングとなった。Rhymerさんにも聴かせたら、「主要曲で行け」でした。肩の力を抜いてそのまま投影しようという考えが有効だったトラックだ。

 

ソヌジョンアやBarberettesは意外だと思ったけど、とてもよく溶け込んでいてさらに意外だった(笑)

個人的な持論では、90年代のBoom bapのバイブスはとりわけジャジーなヴォーカルが入ると終わると思っている。それは真理だ(笑) これからもずっとこういう人たちと作業をすることになりそうだ。

 

実際に『ドンキホーテ2』の歌詞のように、10年前はクラシックがP-typeの相手だった。現在までアルバムに対するフィードバックや、本人が感じる満足度はどうか?

幸いにも考えていたくらいのフィードバックが戻ってきていて、個人的には満足している。僕が期待しただけの反響は引き出せたようだ。しかし個人的なマーケティング・データとしては、やはりこういったものはチャートでは元気がないということを改めて確認するきっかけもなった。だからと言ってチャートで力を得られる曲をやるという話ではないが、ただ「チャートを期待すること自体が滑稽な姿にも映りかねないなあ」ということを再確認したわけだ。確かにマニア層が今はかなり多数になったが、まだポピュラーなマーケットで影響力を持つほどの数字ではないと思う。そしてもうこのようなデータを知っているのだから、混同するのはやめなければならないとも思った。チャートに入らないと泣き言を言ったり、ないしはチャート受けするスタイルで突然自分の歩みを折り曲げる、そんな卑怯な真似はしてはならない。とにかく個人的にはデータをひとつ築いた。もちろんどうせこうなることは分かっていたが(笑)

 

そのような点で、チャート音楽への誘惑はないか?(笑)

その考え自体をしないというのは(会社に対して)無責任だ。可及的にはたくさん聴かれるのが良いことなのだから、その考えをしないということはない。だがそれは果たして「僕がしたいことであり、僕にできるのか?」と思うなら話が変わってくる。やるわけにはいかないだろう。3rdアルバムの時に適応しながら試さなかったわけでもない。ただ、それが僕にぴったりの服ではなかった。僕はこのようにボンバージャケットを着て、ティンバーランドを履いている時が一番かっこいい、ボウタイを結んでスーツを着たり、スキニージーンズを履いてスニーカー履いたら笑えるんじゃないか、そういうのと同じ脈絡だ。「僕に似合って、それがやっぱり僕にとって有効か」という問題で、「欲があるのか​​、ないのか」という観点ではない。似合わない服を着て欲張っても成功できれば幸いだが、実際は似合わない服を着て成功を手にすることはあまりないのだ。

 

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再びアルバムの話に戻ろう。個人的にこのアルバムは、10年前の『ドンキホーテ』の歌詞にある「何ひとつ成し遂げたことがない」というのに回顧するようで、やや苦い気持ちになったりもした。

俺が望むことは、停滞したこの文化が激しい風を収め、前に出て行き、光を放つこと。俺の言うことを記憶する子どもたちが早く育つこと - 돈키호테(ドンキホーテ)

このアルバムは「成し遂げたことが全くない」というよりは、「手に入れたものがない」と表現したとするのが正しいようだ。そして、実は成し遂げたことが全くないわけではないと思う。なぜならその文章を成し遂げた張本人たち、Huckleberry PやMinosのような友人たちが僕にずっと力を与えていて、過去を回想させてくれるからだ。個人的には彼らが僕にとって大きな力となっている。そして、当然『ドンキホーテ2』では再び10年後の予言や風までは盛り込んでいない。それは、そんな曲がないからだ。この曲は10年前に『ドンキホーテ』をラップしたカン・ジンピルに関する曲だ。

 

「ここにはかっこよく老いた未来というものはない」という歌詞や、「誰が付けくれって? 第1世代のレッテル」という歌詞が示唆するところがある。リスペクトに関する問題だ。韓国ヒップホップでは、第1世代たちがレジェンドとして残れるだけの基盤が不足していないかと思う。P-typeもそのような省察をしたようだが?

ここにはかっこよく老いた未来というものはない。頑固オヤジと言われていた父親たちに、借りていたものは踏み倒すんだろう - 반환점(折り返し地点)
誰かが付けくれって? 第1世代のレッテル。犬でも与えてまた持って来い、紙幣と金側 - 폭력적인 잡종문화(暴力的な雑種文化)

その通りだ。僕それどころか自分で直接メスを入れたい時もある。さらにはクルーの内部にいる仲間や先輩を見ても「今はこういうことをするべきなのに……」と思ったりもするが、実際に僕は不汗黨の内部では永遠にそのような存在だ。

 

詳しく語ってくれないか?

2002年度から、僕はいつも先輩たちにとって疲れるし負担な後輩だった。Garionに初めて会った席で酒に酔い、「ライムをなんで書かないんですか?」と言ったほどだから。そしてその話を10年間もしている(笑) まあ僕は先輩たちに直球を一番よく投げてきた人間であり、その必要があるとも思う。とにかくかっこよく老いていくことができる基盤が必要なのは事実だ。ああ、35歳だったらそんなに老いてはいないのに、クソ。

 

(笑)

成人男性の全盛期は35、6だ。肉体的に最も優れた力を発揮する時なのに、マーク・ハントがヒョードルを投げたのもその年齢だった。クソ……負けたが。とにかく、ヤングプレイヤーたちがあまりにも急速に流入して増えていく中、シーンの最初の姿から続けてきた人たちが、もし自分が今までやってきた業績だけを埋めたまま止まった場合、さっき話したように死ぬまで刷新しなければならないアーティストの使命としては適切でないと思う。それと、そうやって止まった人たちと第1世代という名の下に同じレッテルが付けられているのも僕としてはものすごく不快なので、そんな頑固オヤジにはならないよう事実あくせくしていることもある。ただし僕が不満なものは、まるで彼らが次の世代に批判されるのと同様に、僕の口でもその批判を行わなければならない状況と、逆に僕に対して行われる批判は僕の同世代が僕にする批判だと思って受け入れなければならない部分なのだ。しかし当然そういうやり合いは永遠にあるので、僕も誰かにそのような役割にならないと。

 

実際のところ、僕の質問の焦点は新しい世代の態度に関するものだった(笑) 例えばPaloaltoが「すでに業績を成し遂げたレジェンドは、それなりに尊敬されて当然だ」と述べたようなことだ。

それはやはりかっこいい見方だ。かっこいいリスペクトで。しかしそれと同時に永遠に刷新しようとする努力を止めたら、その時点ではそのアーティストに明確な批判が加えられなければならないと思う。どちらにしても僕はそういうやり合いが活発に行われるべきだと思うし、僕も今までそうやって生きてきたために言ったまでだ。今まで獲得した業績のすべてが一瞬で灰となるのも危険だが、そのために「ディス免除権」が生じてるのも良くないと考えている。

 

それなりに妥当だ。新人たちに関する質問に結びつけてみよう。ヒップホップ・シーンがさほど夢のような場所でもないということを、様々なラッパーたちが証言している状況にも関わらず、毎年ラッパー志望者たちは増えている。そして当然そのすべての志望者たちは、ラップスターを夢見ているだろう。この一節はそんな状況に関する詩のようだ。

ラッパーたちは麻薬のような成功を売り、幼い子供たちは夢という名の麻薬をしゃぶり、俺はコットン畑も見れなかったし、俺が生きる現実もやはり変えることはできない - 이방인(異邦人)

まさにChaboomの『빨아삐리뽕(パラピリポン)』や、その他の歌詞で陳腐なクリシェだと表現した話だ。結局は『異邦人』や『光化門』で書いた話もそうだが、ヒップホップに関する話がヒップホップの話で終わらないよう、僕の話が僕の話で終わらないよう、世の中に関する話が世の中の話で終わらないようにするのが、このアルバムのミッションのうちのひとつだった。そして話を混在させ、融合させようという試みを何曲かで行ったが、特にこの曲の歌詞がそうだった。だから最初は歌詞を書いている自分の姿から始めて、世代の違いについて話して、電話機の中でソーシャルネットワークを通して起こったことを話して、その後にシーンの話で終わる、そんな混在した話だ。だから最後の部分では「このシーンで俺が一番拒否反応を持っていることは何か」という考えになった。それを正確に引き出されたのが、今の『異邦人』のような状況に関する話だった。誰もが成功した自分自身の話をして「夢を追ってみたら成功した」と語ると、子供たちはそれを見てラップスターに幻想を抱くようになり、ラップシーンに入りたがる。そしてこの状況は、最終的にはローカライズにつながってくる。ローカライズについて話をする時、最も核心となるポイントが「ヒップホップを職業と考えて取り組む子供たちが多い」ということだ。その話について言えば、子どもたちは「ヒップホップをひとつの技術として認知している」ということだが、結局その出発点に遡ると、再び「ヒップホップを文化ではなく、音楽ジャンルと受けとめている」という話に戻る。問題はヒップホップが一介の音楽スタイルになってしまうと、最終的にミュージシャンになりたい若者たちは、この文化を「どんなことを簡単にかっこよくできるか」というオプションだけで判断をするようになるということだ。そうなった時、この文化はひとつの職業オプションに過ぎなくなるだろうし、人生の価値観としての機能を失うことになるかもしれない。『Show Me The Money』に3〜4千人が集まる理由もまさにこの部分だと思う。小・中・高校で画一化された教育を受けて、大学入学というひとつの目標のためだけに競走馬のように生きて、大学入学自体が存在価値を失った時代が到来したら、子どもたちは新しい職業に目を向けるようになったし、そのオプションの中に芸能人という職業が最も甘く近づいてきたのだ。そしてその芸能人というオプションの中で最も簡単にできそうなのがヒップホップ・ミュージシャンだったのだろう。それで最終的にこのアホな姿ができあがったのだと思う。いわば韓国の教育システムが「君が何をして生きようが君が幸せならいいんだよ」という教育を行っていないために起こる現象だ。職業について悩むようになり、その職業のひとつとしてヒップホップを選ぶような状況になったのだ。だから当然その時点でラッパーたちが「俺の人生はうまくいっている」という話をすればするほど、子どもたちに麻薬のような効果を呼び起こしたのだ。それはまるで、すべてのホワイトカラーの偶像がビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズになっているのと同じ論理だ。システムの奴隷たちはひとつのサクセスストーリーを偶像のように受け取って、それについていくのだろう。もちろん、だからと言ってラッパーがサクセスストーリーを語ること自体が悪いわけではない。成功した子たちが成功した話をして何が悪い。ただ、それが原因でこのような副作用が起こるこの状況自体がとてもおかしいのだ。結局のところ元凶はシステムだろうし、僕が捕捉したのはその部分だ。

 

聞いてみると、コットン畑というキーワードで仕上げたこともそのような仕掛けだったのですね。

実際にコットン畑というキーワードは『異邦人』のビートから出発した。最初にDeepfryのビートをセレクトしたとき、Neil Youngの『Southern Man』という曲をサンプリングしたことを知って、その曲の歌詞を改めて探ってみた。ところでその歌詞は、僕のアルバムに入れようとしていた主題意識にも通じる。それであえて自分の歌詞にもNeil Youngのヴォーカル・パートの歌詞をブリッジに書いたのだ。実際にこの曲でサンプリングした『Southern Man』という歌は、60〜70年代に黒人の人権運動が活発だった頃、Neil Youngが南部地方で起こる人種差別問題について「南部の白人は覚醒しなければならない」という意味で書いた歌だ。歌詞の内容は「君がそうやって生きたら、君たちが読んでいる聖書に反する行為ではないか。俺は南部でコットン畑も見たし、高くて白い邸宅も見たけど、黒人たちが住む古びたほったて小屋も見た」という内容だ。昨年はマイケル・ブラウンやエリック・ガーナー事件(※17)でアメリカの黒人社会が力の限り沸き立ったし、同じ頃に僕たちはセウォル号事件を経験した。僕がTwitterでフォローしている多くのアメリカ人アーティストや、あるいはマガジンのすべてがマイケル・ブラウンとエリックガーナー事件について言及したが、このような状況に僕は微妙な感情を抱いた。それが僕にとって意味がないというわけでもないし、別に意味が大きいというわけでもない微妙な感情だった。だからこんな話をすることにした。僕はこういう曲をサンプリングして、この部分まで書いたけど、「そのコットン畑、俺は見たっけ?」と。ローカライズが必要だという反証の意味もあった。

※17 マイケル・ブラウンやエリック・ガーナー事件:どちらも2014年にアメリカで起こった白人警察による黒人殺害事件。職務質問中、マイケル・ブラウンさん(当時18歳)は射殺、エリック・ガーナーさん(当時43歳)は絞殺された。

 

少し前に「Do The Right Rap」のキャンペーンを実施した。そのコンペティションで「Right Rap(真っ当なラップ)」というテーマで受け付けた多くの曲をモニタリングしてみてどうだったか?

上手な子がとても多くなった。選ばれなかったが、個人的に好みに合う子がかなり多かった。そんな子たちのうち数名とは実際に会ったりもした。とにかく僕の審査で自ら排除したため、そういう子たちとは個人的にコミュニケーションを交わした。結果的に上手な子たちにたくさん会って素晴らしかった。ところで鑑賞会でも話したが、キャンペーンが終わって一番考えたことがこれだ。「このシーンは本当にプレイヤー半分、リスナー半分だ」という考えだ。『Do The Right Rap』の歌詞にもそのような内容が入っているが、「リスナーと言えど、潜在的にラッパーになるためのリスナーがより多いのではないか」と思った。もちろん僕や僕の仲間たちもそこから出発したように、ヒップホップのファンでありながら、そのファンが成長して(ヒップホップを)愛する心でアーティストになれば申し分なく良いことなのだが、これが果たして昨今の僕たちがしばしば話している「ヒップホップ・シーンが大きくなったと見るものの実体なのか」という考えが浮かんで苦い後味もあった。実際に1,200人から1,500人を超えるぐらいがキャンペーンに参加をしたのだが、僕たちがツアーを回る時、それほどの人数が目撃されていないことを見れば明らかだろう。だから注目されたくて、もう少しヒップホップらしくなりたくて、それで自分自身を証明したいという子たちは多くなったが、純粋に音楽を聴いて会場に足を運ぶ子たちは多くない。いわゆる一部の評論家で話している「人について回るファンは増えこそあれ、音楽について回るファンは減少した」という話も同じ脈絡のようで、つまりその部分に苦い思いが残った。

 

いわばシーンを築く人や、シーンに引っ張られる人々が不足しているのか?

シーンを築く人がいない? まあその部分はあえて僕が刃をつけて批判したくはない。それは実際には個人の歩みだから。「場を敷く子たちがあまりにもいない!」という泣き言は無用だと思う。ただし、今のシーンは理由問わずもっと大きくならなければならないと思う。今しなければならないことはそれだ。水に入る時は櫓を漕がなければ(※18)。ところが櫓を漕がなければならないのが個人の身ではなく、場を膨らませるためなら、泡(バブル)が多く含まれていても構わないと思う。バブルが生じるほど残るものも多いので。

※18 水に入る時は櫓を漕げ:韓国のことわざのようなもので、「何事もチャンスが訪れた時、怠慢にならずに勤勉になれば時期を逃さない」という意味

 

最近「RHYTHMER(※19)」が『Unpretty Rapstar(※20)』を批判した記事のポイントは、シーンが大きくなっていくやり方に対する批判だった。P-typeの立場では、やり方を問わずシーンは大きくなるべきと考えるか?

そう来ると思った(笑)(※21) そうだ。僕はそう考えている。どうせ生じるバブルなら、たくさん生じればバブルが弾けた時に残るものも増すだろうという考えだ。とにかく結局のところ、アーティスト本人がメディアに露出すること自体を恐れるような環境を作るのは間違っていると思う。なんでそんな顔色を伺うようにするのか分からない。もっと活発に外部に姿を見せようとするのは自然なことで、気に入らないまでも、もっと活発に(コンテンツが)できなければならないと思う。そうすればちゃんとした人たちも出てくるだろうし、シーンを築いてくれる人たちの中でまともなコンテンツを作る人たちが出てくると思う。 Mnet(※22)がヒップホップについて知識が浅かったことは、断罪を受ける対象なのか。韓国のメディア関係者たち、あるいはヒップホップというキーワードを使いたかった人たちは皆、あらかじめヒップホップのことをよく知ってから始めれば良いのか? もちろん努力はするべきだ。努力しないのなら怒られなければならない。批判を受けて、それに耳を傾けて、それでもっと良くなることは健康なことだろう。表では無視して裏では冷やかす、それは一番卑怯なんじゃないか。会って教えてあげたり、教えてあげる親切な態度が自分のキャラクターでないなら、表に出て唾を吐いてやればいいことなのに、どうして後ろから扇動するのか分からない。まあそうすることが自分たちの役割なら、それも理解する。ところが「あの子は臭いからお前はあの子と遊ぶな。あの子と遊んだらお前も臭くなるよ」と言うのは……無責任だし幼稚だと思う。メディアに露出して知名度を高めたい、それを通してもっと多くの収益を出したいというのが不道徳なのか? 資本主義の世界で?(笑) 僕はなぜ、それが出演に応じた子たちを「韓国ヒップホップに泥を塗った逆賊一味」とまとめて主張するための根拠になるのか分からない。

※19 RHYTHMER(リズマー):韓国のブラックミュージック専門サイト。韓国で唯一、レベルの高いヒップホップ/R&Bの音楽レビューを読むことができるサイトとして知られている。編集長のカン・イルグォンさんは、当サイトで最も読まれている記事『サンプリングを語る』の原文を書いた方

※20 Unpretty Rapstar:韓国の人気ラップ・サバイバル番組『Show Me The Money』のスピンオフ版。番組側が選出した女性ラッパーたちがその実力を競い合う

※21 そう来ると思った:件のRHYTHMERの記事のことをP-typeがTwitterで猛烈に批判し、編集長のカン・イルグォンさんも反撃。大きな論争を呼んだ

※22 Mnet:『Show Me The Money』や『Unpretty Rapstar』を放送しているテレビ局

 

RHYTHMERもやはりひとつのメディアとして、彼らのやり方で攻撃したのだと見るなら?

話すことはできる。自分たちのポジション上、そうすることはできるだろう。だけどそうやって攻撃の対象を「全員」に設定することは正しいだろうか。BrandNew Musicを殴った? 大丈夫だ。MCモンを殴った? Mnetを殴った? 大丈夫だ。だけどそこに関わった全員を反逆者として誘導するのは考えが浅いし、感情的で無意図だと疑われる。そこに関わったすべての人たちに「連帯責任の烙印を押したい」と言うのは、実はシーンにいる全員に「烙印を押されないために俺たちの顔色を伺え」と言ってるのと同じじゃないか。これまでRHYTHMERの行動のいくつかがそうだったために、堪えて堪えてその部分で腹が立ったのだ。ヒップホップを分かってないMnetが作ったヒップホップの観点で、臭い番組にヒップホップとは到底認められないMCモンが出たが、その回に出演したから有罪だと言うなら、その有罪の数名と組んできたRHYTHMERは何なのか。僕は「君はそうやって追い立て続け、僕は君たちが追い立てる話に発信力はないと堂々と話す」ということだ。各自のやり方なら各自のやり方なのだろうが、僕はこれっぽっちも認めない。ああ、批評すること自体は認める。しかしその攻撃対象をそんなふうに設定するのは、僕は死んでも認めない。

 

特に「バードマンの古い腐れ女」という表現は、批評そのものに対する拒絶だという誤解を招く恐れもあると思う

「信念のまま唾を吐くことが批判なのか」と一言付け加えたことが論議を大きくさせた部分もあるが、そこは除いてもいい。興奮して失言した部分もあるし。各自が信念のままにできることをする、僕もやはりそのように生きるし、そう言う必要もないだろう。だけどRHYTHMERの一部を『バードマン(※23)』の古い腐れ女のように感じるのは正しい。『バードマン』という映画の中で、あの評論家が正しい批評家の象徴となっていないことは周知のことではないか。あの評論家は、アーティストが破滅するまでアーティストを認めなかった。それが正しいことか? RHYTHMERの行動はそれと似ていると思う。自分たちが設定した解答用紙から外れるすべてのものをフェイクと分類するプロセス自体が、『バードマン』に出てくる古い評論家だということだ。正確には、あの女性が映画の中で言ったセリフがRHYTHMERに似ていた。「君は芸能人なら、君が遊ぶ水で遊べ。なぜここに入ってきて、良い作品だけが占めるべき場所を君が占めるのか。私は君の仕事を見ていないが、君の演劇は必ず殺してやる」これが腐れ女だろう(笑) ある特定の答えを決めておいて批判の領域に入ってくるのは、何でも問題があると思う。今回のRHYTHMERの批評自体も、もしコンテンツの質の高低を論じたなら僕も頷いただろう。もちろんメディアに僕を露出させたこと自体をミスだと思ってるわけではないだろうが、「はぁ。質の低い番組に理由もなく出て」ということを言っているのだろう。だけど朝鮮時代でもないのに連帯責任にするのは……明らかに間違っていると思う。「カラスが遊ぶところに白鳥は行くな(※24)」と言いたい気持ちも分かるが、そうやって逃げ回るなら、おたくらはそうやって生きてろと言いたい。誰がクソMCモンが出ることなんて知っていたのかと(笑)

※23 バードマン:2014年に公開されたアメリカ映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のこと。元スター俳優の葛藤を描いた作品で、発信力の大きい評論家の女性によって追い詰められるシーンは見所のひとつ。アントニオ・サンチェズによるドラムのBGMも素晴らしく、個人的に私が最も好きな映画のうちのひとつです(← どうでもいい)

※24 カラスが遊ぶところに白鳥は行くな:韓国のことわざ。意味は文字通りで、美しい白鳥でもカラスと遊ぶとカラスに染まってしまうから遊ぶなということ

 

本当に誰も知らなかったのか?

誰も知らなかった。

 

十分に理解できる話だ。では、BrandNew Musicに向けたネガティブなフィードバック、レーベルメイトのSan Eの動きに関するフィードバックについてはどう思うか?

その話を全部ヒップホップのカテゴリー内に収めようとするのは明らかに良くないし、批判される余地も十分あると思う。僕はこのように話をつけている。BrandNew Musicがヒップホップだと主張しているあらゆることが、ヒップホップではないことは僕も認めている。ただ、僕は僕のことだけうまくやればいい。とは言っても、大衆音楽市場で大衆歌謡を作ること自体は非難されるべきことではないと思う。もちろん批評家たちも、その部分は見落としていないと思う。今の批判はヒップホップの境界をぼやかして、ヒップホップ・シーンのアイデンティティをあやふやにしてやるから、批判のメスを入れるのだろう。だけど最近はあまりにも批判ばかりだ。

 

最後の質問だ。今後の計画について

まだ次の作品について明確な構想が出ている段階ではない。ただし、今回活動を再開したこのスタンス自体にとても満足して十分に楽しんでいるので、この先しばらくはこの延長線上の作業をすると思う。楽しみにしてくれれば。そのほか、今回のアルバムに関連した活動としては、先ほど申し上げたように僕の意思に反するいかなる露出の機会が訪れても、僕はそこに出て自分の意思を明らかにしていく。気に入らないことがあれば気に入らないところに出て、気に入らないと話をしてくることになるだろう。そのような姿も見守ってくれれば良い。

 

それはもしかして『Show Me The Money』のことを言っているのか?

呼ばれたなら出る意思はある。その代わり、呼ぶ側にも覚悟が必要だろう。僕の考え自体が穏やかではないから。美しい姿でじゃれ合ってくるつもりは毛頭ない。もちろんまだ何の動きもないので、予断することは難しい。だけどこれに関するどんな機会が訪れても、その機会そのものを「あれはヒップホップじゃないから」という窮屈な考えだけで弾いたりはしない。これまで見てきたように、柔軟に音楽をするだけではチャンスは訪れず、シーンにいかなる良い影響も与えることができない。重ね重ね言うが、シーンは何が何でも大きくならなければならず、そのような態度ではシーンが大きくなっても何もできない。これまであったように、かっこいい声のひとつとして小さく終わるだろう。もっと大きな拡声器を通した声を聴かせることが、むしろ次の世代のために努力すべき部分だと思う。そういった意味では、僕にとってBrandNew Musicは、より多くの人々に聴かせることができる場なのだ。ただし自分を見失ったり、魂を売るような行為はしてはならないだろう。

 

長い時間インタビューに応じてくれてありがとう!

 

出所:HIPHOPPLAYA(2015-04-20)
日本語訳:Sakiko Torii

 

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