Zion.T『Red Light』インタビュー by HIPHOPPLAYA

Written By Sakiko Torii

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リスナー、プレイヤー問わず、2013年上半期最高の話題作のヒップホップ・R&Bシーンにつま先でも入れている人であれば誰もが期待する熱い関心の中でリリースされたアルバム『Red Light』は、インスピレーションの刹那を感覚的な音で表した瞬間の映画である。今回インタビューをしたヒップホップ・シンガーソングライターZion.Tは、ヒップホップ・シーンの変化と新たな幹の誕生を切望する先導気質が多分にある愉快な男であり、インタビューで彼の思想と音楽に影響を与えた背景、そしてアルバムの最後の歩みのビハインド・ストーリーをZion.Tだけの愉快な視線で聞いてみた。

 

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ひとまずアルバムリリースを控えて交通事故のニュース(※)がありましたが……お身体はいかがですか?

高速道路で、車が雪で滑ったせいで……。ガードレールに打ち当たって運転手が気絶するほどでした。なんとか生き延びましたよ(笑)

※今年2月4日、Zion.Tは釜山での公演を終えて帰ってくる途中で交通事故に遭いました。同乗していたマネージャーが軽症を負ったようですが、幸い誰も大きな怪我はしなかったようです

 

幸いですね。それが厄払いになったのか各種アルバムチャートを席巻しましたが、感想はいかがでしょうか?

うわー、とても嬉しいです。僕にとって初めてのアルバムですが、普通は初めてのアルバムに対するプレッシャーというものがあるでしょう? だけどアルバムが出る前は淡々としていましたね。これがダメだったらどうしようという不安感も、うまくいくだろうか?という期待感もありませんでしたよ。そのようなことに対するマインドコントロールやイメージトレーニングをしました。というのも、アルバムを作る期間がとても長かったんですよ。最初に始めた頃は浮きだった気持ちで構想しながら、トラックをどのように配置して、これがうまくいけばこうなって、といった感じでいろいろ考えましたが、どうしても期間が長くなるとそういう思いよりも早く終わらせたいという気持ちのほうが大きくなりました。そしてアルバムを作っている間に、アルバム収録曲のスタイルとは少し違ったスタイルに傾倒するようになり、初めてのアルバムなのに少し楽しみがなくなったというのもありました。

 

今聴いても?

本当にたくさん聴いたので……。一曲あたり2千回は聴いたでしょうね(笑) だから実際には長い時間をかけるのは良いことではないけど、とにかくほかのアルバムに対する構想やアイディアが突然出て、それをやりたくなったせいで、今回のアルバムに対する期待感は自然に消えていきました。ただ「ああ、早く出たらいいなあ」という思いでした。だから出たときも、初登場のアルバムに対する大衆的な反響というものを期待しませんでした。実際『Doop』とか『Neon』のような曲は、普通は大衆が絶対に聴くことのなかったような音楽性ですし。だからそのような音楽がチャート10位内に上がっていることが信じられなかったです。大衆音楽としてはある意味かなり実験的な内容でしたが、人々がこのような音楽にも関心を持って共感するということが分かり、あとからとても希望が湧いてきました。

 

では、はじめから大衆性を狙った曲はどんな曲ですか?

大衆性は狙って作ってないです。作業を開始するとき、この曲は受け入れられるだろう、あるいは何曲かは大衆が好む曲を作ってみようというような考えはなく、どの曲を作業するときも同じ気持ちだと思います。ただ「こんなことをやってみようか?」と開始すると、その曲を進めるうちにフィーリングが出てくるんです。「ああ、これは大衆が好むだろう!」ではなく、いつも「大衆には分からなくても、ただ何か楽しい」というやり方です。タイトル曲の選定理由も「これなら大衆がそれなりに好みそう」と思って決めただけで、創作に対してはいつも同じ気持ちでいます。ただ作ってみようというやり方です。

 

意図して受け入れられた秀作と、意図しないで受け入れられた傑作の違いですね。余談ですが、HIPHOP PLAYAでの最初のインタビューなので、簡単に過去のキャリアに目を通しましょう。音楽はいつから始めたのですか?

僕は元々絵を描いていました。だからずっと画家か、でなければイラストレーターなどの視覚的な職業に就きたいと思ってました。

 

それでは美術系の専攻を選択したのですか?

いいえ。家の暮らしが良くなかったこともあって。僕はかなり一般的な家庭で生まれ育って、家の中では芸術系に従事したり、音楽や美術に造詣がある人は一人もいないですね。家族の知り合いの知り合いの知り合いにもそのような系統の方がいないような不毛な地で育ちましたが、地域もそういった江西区の鉢山(パルサン)駅を過ぎた田畑のようなところで、紙飛行機を飛ばしながら育ったんですよ(笑) だからどうしても一般的な家父長的な家庭の枠組みの中で、当然学生は大学に行って就職をして生きていくという観念を刷り込まれていました。僕は芸術をやりたかったし芸術家になりたかったけど、それをやるには例外なく美大に行かなければならなくて、どのようなルートを踏まなければならないかという漠然とした考えがありました。そして美大に進学するにはそのための教育を受けなければならないし、教育を受けるにはお金が必要ですが、僕の家にはお金がなかったんですよ。そのような理由で常にストレスがありましたが、高校時代に17歳で初めてヒップホップが好きになりました。そのときに初めてラップを書き始めました。

 

その後、音楽に目を向けるようになった本格的なきっかけはあったのですか?

ラップを書き始めて、普通のラッパー同様に音楽をやる上ではビートが必要だったのですが、既存の曲の歌詞を使って再解釈したりリミックスするという方法でしか創作することができないことがもどかしかったんです。それで本格的に自分で音楽を作り始めることにしたのですが、決定的だったのは、音楽を作るにはお金が一銭もかからないということですね。最近はコンピュータがひとつだけあれば作れるから、それで始めることにしました。

 

劣悪な環境で音楽を始められたんですね。

僕の家には僕の部屋がなかったんです。だからリビングにある母親のコンピュータと、自分のお小遣いとアルバイトで貯めたお金で買ったマスター・キーボードと3万ウォンのマイクひとつで始めましたよ。その当時父はサッカーを観ていて、母は洗濯物を干して、姉たちは歯磨きしていて、そんな状態でした(笑) そのマスターキーボードはずっと使い続けてつい先日故障してしまいましたが、『Click me』という曲までそのような環境で作業をしていて、そうするうちに高3になってから本格的に音楽を始めなければならないと考えました。

 

いろいろなプロセスを経て、音楽を始めたときと今の間に様々なスタイルの変化のプロセスもあったのでしょうね。

考えてみると、あの当時に僕がやっていたスタイルは、そのときのトレンドだったT-PainやAkonのようなオートチューンを多用する人たちからたくさん影響を受けました。そのような手法が流行したし、僕もそうやって刺激をたくさん受けました。元々はラップから始めましたが、自分で聴いてみると僕のラップはとても地味でおもしろくないんですよ。なのでラップに加えてメロディをつけ始めて、オートチューンの技術とかそのようなものを使っている人たちがよく使うアレンジとか編曲スタイルを吸収し始めました。彼らのようにやりたいという思いでそういった試みをしましたが、その当時の韓国にはそのような形態のミュージシャンがあまりいなかったんです。なので僕はうまく準備してきたというより、希少性のために一緒にやろうと言ってくれる方が多かったんです。そんな風に始めることになりましたが、実は僕は自分自身に対する確信がなかったんです。自らの特色に対する準備もしてなかったし、音楽も遅くに始めたので自信がなかったし、勉強する気持ちで仕事をたくさんしました。この人が一緒にしようと言ってくれて、あの人も一緒にしようと言ってくれたとき、何とかしないといけないという思いだけでひとまずチャレンジをたくさんしました。

 

今のスタイルに行き着くまで熟成期間がとても長かったですね。

僕の最初のシングル『Click me』は2011年4月に出ましたが、僕のプロジェクト・ファイルを検索してみるとあの曲は2010年4月に作ったんですよ。それでどうしてあの曲を1年も寝かしておいたのか考えてみたら、曲を作った当時はまだ準備ができていなかったんです。自信もなかったし、当然知っている人もいなかったんです。あの曲を作ったときは、次に続けることができるスタイルに対して確固たる心がなかったようです。スタイルも確立できていないので、次の準備をする意欲が湧かなかったのでしょう。だけど幸いなことに、そのような中でDok2やThe Quiett兄さんと知り合い、The Quiett兄さんが僕に会おうと電話をしてくれました。Illionaireというレーベルができる直前でした。2010年9月頃のことですが、僕はあの人たちに会ってかなり影響を受けました。Dok2というミュージシャンは僕とは違って完全にベテランでしたし、The Quiett兄さんもアルバムを10枚も出したようなベテランじゃないですか。そして僕はアルバムを1枚も出していない状況だったので、あまりにも違うじゃないですか。マインドも大いに違って、未来志向的で完全に進歩的で、望んでいた多くのものを獲得してきたような人々だったので、何も知らない僕に大きな影響を与えました。マインド的なことも直接教えてもらったわけではないですが、彼らの言うことや表現するものが僕に大きな影響を与えました。そして彼らとの仕事を通じて僕に対する認識が増え、彼らを介して知ってくれた人々を通じて認められて、自分の音楽に対する確信が生まれて自分のスタイルの研究がさらに早く進んだようです。

 

Illionaireの話が出たのでお聞きしたいのですが、Amoeba Cultureに参加する前からすでに実力あるミュージシャンとしての位置づけを確保して、数々のレーベルのミュージシャンにもフィーチャリングをしてきましたが、ほかのレーベルからの獲得オファーはあったのでしょうか? 実際Illionaireへの参加を予想した人も多かったです。

Illionaireの場合は、Dok2とかQuiett兄さん、Beenzino兄さんの3人もバランスがとても良くて、僕の色も合うだろうと考えたことはありましたが、当時僕が一緒にいた彼らはあまりにも速くてちょっとした違和感がありました。だから歯車が完全には噛み合うのは難しいような気がしました。一緒にやる気持ちで良い仕事をたくさんして過ごしましたが、ある瞬間に「ああ、僕は一人でやらなければならない」という気がしたんです。スランプも経験して、音楽的にたくさん悩まなければならない時期だと思いました。なので一人でたくさん作業しましたよ。

 

そして過去のキャリアで重要な起点となったのがPrimaryさんとのコラボだと言えますが、私が思うに『Primary And The Messengers』アルバムではZion.Tさんが最大の功労者であると同時に、最大の受益者であったと思います。あのアルバムを通じて多くの注目を受けましたね。

Primary兄さんを初めて知ったのは、Simon Dominic兄さんのアルバム収録曲『Stay Cool』の作業をしたときでした。その頃からAmoeba Cultureとの仕事が始まって、そしてPrimary兄さんがアルバムを準備しているときに「なかなか良い新人がいない」と言いながら周りをキョロキョロ見回していて、Simon Dominic兄さんの推薦でコラボを開始することになったんです。そうやって最初に作業をした曲が『만나(会おう)』という曲でした。

 

Stay Cool – Simon D Feat. Zion.T

 

만나 – Primary Feat. Zion.T

 

その曲の反応が良かったんですよね。

はい。当時は反応がまあまあ良かったです。その次の曲が『See Through』だったのですが、僕はいつもアルバムを作ってはひっくり返すということを繰り返していました。トラックリストを決めてひっくり返して、再び決めてひっくり返すということを頻繁に繰り返していましたが、サウンドのトレンドが変わり続けるので作業済みの曲を自分で聴いても幼稚に感じて、そんな風にやっていると時間がかかるでしょう。それでひっくり返して変更を繰り返しながらアルバムのタイトルが何度も変わる中、『See Through』は僕のアルバムの構想をするときに出てきた曲のひとつでした。僕のアルバムの中心的なトラックになると考えて作業した曲だったんです。ところがPrimary兄さんと仕事をしているときにPrimary兄さんが作った音楽を聴いていて、『See Through』のベースとなったラフバージョンを聴いたんです。ムードが違いはしましたが、僕が構想していた『See Through』のメロディがとてもよく合っていました。それで口ずさんだんですよ。そしたらPrimary兄さんが「わお!」と言うので、僕が「録音してみましょうか?」と言って録音しました。そして翌日、Dynamic Duoのゲコ兄さんがそれを聴いたんです。するとゲコ兄さんが「おお、これ新鮮だね! 俺も一緒にやったらダメ?」と言って、僕の知らないうちに作業が進められて、そのタイミングでPrimary兄さんの『Primary And The Messengers』のシングルシリーズが出ていたので、自然と『See Through』が入ることになってPrimary兄さんの名前で出すことになりました。もちろん僕にとっても良い機会だったし、Primary兄さんとの縁がなかったら今のような反応を得ることはなかったと思います。奇跡的だと思います。この出会い自体が僕には大きな動きの始まりだったし、足場だったんです。

 

See Through – Primary Feat. Gaeko, Zion.T

 

それは別の話として、今回のアルバムレビューを見ると「Primaryの曲のようだけど?」といった反応は少し悔しいでしょうね。

はい、そうです。あれはPrimary兄さんの名前で出した曲ではありますが、僕の感性です。あれが僕のメロディと僕の歌詞なので、今回のアルバムも自然にPrimary兄さんの感性だと思われてしまうようです。つまり、このような音楽的ポジションに対して人々は興味を持っていないということだったんですよ。音楽的なポジションやプロデューサーの役割、共同作業時の役割たちに対して。もちろんミュージシャンたちがインタビューを受けるときにそのような部分についてアピールしてこなかったこともあって、韓国の人々は特にそのような部分をshout out(※)してくれないのもあります。このような点について大衆はあまり考えていないようです。

※shout out:ヒップホップ・スラングで「エールを送る」的な意味です。もっと軽い意味で「挨拶をする」「(メッセージ等を)伝える」という使い方もします

 

目に見える部分だけを見ようとする習性というか。

はい。自分たちが一番関心のある部分について一番無関心なんです。それがちょっと不思議だと思う。

 

Amoeba Cultureへの参加は、その時点ですでに決定されていたのですか?

Amoeba Cultureとはひとまずファミリーでした。そのようなビジネス的な話をしたことはありませんでしたが、スタッフの方々や様々なアーティストとのファミリーシップはすでに形成されていました。僕は所属してなくても一緒にたくさん活動をしていたでしょう。そして僕は実際Amoeba Cultureに入りたかったし、入る気持ちもありましたが、Amoeba CultureとJTong兄さんのようにアルバム契約だけをして進行してみるつもりでした。ところがAmoeba Cultureの社長が提案してくださったんです。「come」と言うので「はぁ~い」でしたよ(笑)

 

VV:Dクルーも最近ホットな動きを見せていて大きな関心を受けていますが、このクルーの誕生秘話が知りたいです。どのように作られることになったんですか?

僕が音楽を作る方法は今も昔も同じです。音楽に対する方式が、スタイルの違いがあるだけで今も昔も非常に即興的で直線的なのですが、ふとこんな風に考えました。「僕のような人々が集ったらどんな気分だろうか?」そしてそれを考えてみると、現在のヒップホップ・シーンで主体性を持って独立して活動しているシンガーソングライターたちのグループがないと思ったんです。よく「韓国のUsher」「韓国のT-Pain」というようなことを言うけど、肝心の韓国の誰かがいないんです。根元がない感じというか。そういうおもしろい形態のミュージシャンが多く存在していないようでとても残念でした。アメリカの場合はひとつのジャンルに属しているミュージシャンの中でもスタイルの幹があり、その幹で互いに競争をする構図が自然にできているのが羨ましくもあり、「韓国はなぜこうならないのだろう?」という考えを常に持っていました。だけど韓国にも明らかにそのような時代が来るだろうということです。

 

シーンが細分化される。

はい。細分化されて幹が生まれ、スタイルの根が生まれて互いに競争をして、ボーカル同士でディスもするでしょう(笑) 今まではそんな雰囲気自体が形成されることもできない状況でしたが、これからは可能になると思います。実際、今までそんなことを可能とさせるような例が提示されていなかったんですよ。もちろんJinbo(※)兄さんはとても高度な音楽や動きを見せていたので、僕も兄さんを見てかなり影響を受けました。よく「わ! 韓国でこういうものを?」といった話をしますよね。Jinbo兄さんがそういった言葉を言われるようになった最初の人だったと思います。僕はJinbo兄さんの音楽を初めて聴いたときや行動を見たときに、かなり強い影響を受けました。そしてJinbo兄さんが大衆音楽賞を受賞したということを見るとおもしろいですよね。

※Jinbo:SuperFreak Recordsを経営するプロデューサー兼シンガー

 

既存の大衆音楽のソースがまったくない音楽が食い込んでくるときのような面白味?

はい。まったくソースが違う大衆音楽賞を受賞しました。とても勇気が出るでしょう。たぶんそれが先駆者の役割だということです。道を築き、次の世代に勇気を与えるんです。そのようなことを見て考えてみると、僕が彼の音楽を聴き、その前は誰かの音楽を聴いていたように、僕が出した音楽が今の中学校に上がるかわいい男子学生の耳に入ることになって、その子が育つ基礎になることも感性の種にもなることもあると思って、非常に大きな責任感を感じるようになりました。僕がアルバムを出して活動をすることは僕にとってはただのひとつの動きですが、僕が誰かの影響を受けたように誰かにとって大きな基礎となることができるような気がしました。だから韓国でそのような影響を与えることができる人々、その中でも確実な根とアイデンティティを持って活動する人が増えればと思ってチームを作ろうと考えました。実は今の時点でどうして大胆にもこのような話ができるのかと思ったりしています。ちょうど開始したばかりで形状を保持している状態で・・・。だけどひとまずこのチームに対する考えは、そのようなことからでした。僕や僕の友だちがそんな姿を見せれば、僕たちのような形態の人間が確実に存在するんだと、人々が灯台のようにそんな僕たちを見て集まらないだろうか、幹が生まれないだろうかと思いました。

 

実に先導的なクルーですね。

見てみると案外韓国にも人材はたくさんいます。オーディション番組を観ても非常に才能のある優れた人がたくさんいますが、おもしろいのはその優れた人々が選択する進路が二つに一つだということです。事務所のオーディションを受けるか、オーディション番組に出るか。まるで大学に行ったり仕事をしたり、コネで両親の会社に入ったり留学に行ったりというような、明らかな進路だということです。音楽をするアーティストが何か独立した形態の考えを持てなくなっているということ自体が同じ韓国人として気に障ったりもして、そのような例示になりたいというのが当初の希望でした。そしてそのような目的を持って開始したんです。

 

ところで通常Zion.Tさんの音楽はソウルR&Bに区分されていて、多くの人がZion.Tさんの音楽的基盤がR&Bソウルと考えていると思いますが、ご本人としてはどこに根があると思いますか?

僕はまず、ボーカリストという言葉を聞くのがとてもぎこちなかったです。歌手はもっとですね(笑) 僕はボーカルの研究を行ったことがあまりないんです。だけど「ボーカリスト」としてしまうと本物のボーカリストの前に行ったとき、例えば『不朽の名曲』(韓国の歌番組)に出ればそこには本物のボーカリストがいるでしょう。そこで「ボーカリストZion.T」と呼ばれるのがとてもぎこちないんです。そう呼ばれることが多くなってそんな風に僕を紹介するけど、元々僕は歌詞を書くにしてもラップから始めたし、ラップの歌詞を書きながらメロディをつけましたからね。そうやってスタイル形成が進行されていったので、歌にしても歌詞を書くときはラップを書く気持ちです。だからこそメロディはコーラス和音のハーモニーアレンジのスケールに合わせて自然に出てくるので、本当に悩んだりしません。「ここで上げるか? 下げるか? どこでどのようにしようか?」という悩みはないんです。だからラッパーたちが僕に共感するのではないだろうかと思い、慎重に推測をしてみたりもします。

 

根はヒップホップだと言えますね。

はい。根はヒップホップです。そして多くの方に聴かせることができませんでしたが、今回Amoebahoodコンサートで撮影したイントロ映像では、僕はラップだけをしました。そのような部分もたくさんお見せしたいです。

 

ラッパーとしての計画もあるんですね?

実際は今回もラップをしたかったのですが、今では多くの乖離を感じていて「なんだ俺は」と思ってそのまま歌だけにしました(笑)

 

言われてみると仰るとおりJinboさんが重なって見えるような気もしますね(笑) 本格的にアルバムの話をしましょう。今回のアルバムでは映像、美術などプロデューサーの力量まで総括的な制作過程に主導的に参加されたと聞きました。

映像の中に絵がいくつか出てきますが、僕のスケッチノート(※)がコンテを作る上で大きな参考となったようです。アートワークに挿入された画像のソースでも、キャラクターデザインにおいても、そういった点での合作はありました。編集室に行って夜を明かしながら編集に参加したりもして。

※参考記事:Interview | Zion.T – Red Light 作業ノート by Naver Music

 

プレスリリースによると、映画監督をコンセプトにした一編の映画という表現があります。アルバムが直接的にストーリーテリング構造というわけではありませんが、もしかしていくつかのストーリーやシナリオを元に作ったのですか?

映画監督というコンセプトは、曲にストーリーがあるというよりも映画監督というポジションと音楽プロデューサーというポジションに共通する部分が多いという意味です。映画監督は俳優をキャスティングして、シナリオを作成して、作家に交渉して様々なアートチームや視覚チームと仕事をします。監督が俳優をキャスティングすることと音楽プロデューサーがフィーチャリングを交渉することは同じで、台本を書くことはまるで歌詞を書くことのようで、このように共通する部分が多いでしょう。そういったポジション的な部分で映画監督というコンセプトにしました。僕は実際に映像や視覚的な部分にも関心が高いので、それが僕に似合うだろうと思って決めました。そして曲に対しても映画だと表現するなら、起承転結がある一編のストーリーというよりは、あるテーマを持ってそれぞれのエピソードがあるオムニバス形式だと言えると思います。ほかにも映画の要素があるとすれば、後半のトラックの『Neon’ / Director’s Cut』では『Neon』という曲を拡張して別の感性を見せるディレクターズ・カットのような印象を与えたりしました。そのような構成で説明しています。

 

オムニバス形式と言いましたが、それでは曲を配置される上ではどのようなところに主眼点を置きましたか?

トラックの配置は、実は一番悩みませんでした。マスタリングが入る2時間前から悩み始めましたが(笑) なぜって、作業があまりにもギリギリだったんですよ。ミキシングを終わらせて寝ることもできませんでした。エンジニアの兄さんがミキシングを終わらせて「ああ、ちょっとだけ寝れそうだ」と言っているときに会社に行って、元々用意していたトラックリストをひっくり返して即興的に「こうすればもっと良くなると思います!」と言って変えてCDプレスにすぐに受け渡しました。だから実際には今のトラックリストがとても残念です。そして曲に対する主眼点ですが、自分の曲を確かめてみると、僕は曲を書くときに内面の感情的な部分に基づく素材を解きほぐしていないようです。感情よりも感覚的な部分によるインスピレーションが多いようです。例えば「ごめんね、ありがとう、愛してる、寂しい、つらい、会いたい」このような形の感情から受けたインスピレーションはほとんどないようです。照明とか、ちょっと握ったコーヒーカップの温かさとか、そういった瞬間があるでしょう。そのような瞬間がもたらした刺激的で視覚的な、あるいは雰囲気的なものがインスピレーションの種となって表れているようです。だから僕の音楽は様々な瞬間をキャッチしています。一言で言うと『O』ではカメラのレンズを形象化して僕が撮影をする瞬間のインスピレーションを表現したように、すべてが感覚的な素材であると思います。常に女性が登場して、彼女を撮影したり彼女が歩くのを見守ったり、または彼女と一緒に歩いたりといったような内容です。

 

アルバム全体もそうですが、『Doop』では個人的にはどことなくD.Angeloのゆったりとしたグルーヴが浮かびました。個人的に印象深かった曲です。

『Doop』の場合は女性に関する内容だと考えることもできるかもしれませんが、インスピレーション自体についての内容なんです。インスピレーションを思い起こしてキャッチして、歌にする瞬間に自分自身を入れ込んだんです。歌詞も作っておいたラフバージョンを再生しながら「どうやって書こう、どうやって書こう」ってなって、「あ!」って一瞬で歌詞がパッと出てきました。この曲の歌詞は「細く開けた目 たぶんひらめいたようだ」と始まりますが、『Doop』というタイトル自体も何か意味があるのではなく、スキャットで「ドゥービードゥプドゥプ」と歌ったときに一番楽に出せる音です。そして「彼女が歩く速度は90bpm」という歌詞は、女性が靴を履いて歩いていく音を聞くと、とてもリズミカルに感じられることが多いですね。見てみると、女性は自分の感情の状態に応じて靴のヒールの音が違います。例えばとても緊迫しているとき、気分がいいとき、綺麗に見られたいときに応じて歩く音がだいぶ違いますが、それを聞いているととても興味深かったんですよ。皆さんも地下鉄の出勤時間や静かなカフェに座って聞いてみるとおもしろいと思います。とにかくかなりリズミカルに聞こえるときが多いのですが、そのような瞬間のかけらを書き込んだインスピレーションに対する曲だと言えますね。

 

では、この曲でのVerbal Jintさんとの作業はどうでしたか?

Verbal Jint兄さんしかいないと思いました。曲を作って最初の小節が出てきたとき、これは無条件にVerbal Jint兄さんでなければならないと思って電話をしたら快諾してくれました。それで作業が開始されましたが、実際この曲はほかの誰にお願いをしてもどのようにするべきか予測できませんでした。この曲は定拍子がないんですよ。人々が拍手を打つことができないビートと言えます。たとえばこの曲をフェスティバルで演奏したら、誰も拍手も打てないし頭もうなずけないんです。想像するに、たぶんゴタゴタになるんじゃないかと(笑) そんな曲だから予測ができなかったんですよ。Jint兄さんがスタジオに来て歌い始めているのに、本当にメロディもまともに決まってなかったのですが、フンフンとハミングしながら録音してみると数回にもならないうちに録音を終了しました。そのときは「ああ……不思議だ」と思ったけど、数日経ってから聴いてみたらとても良かったんです。だからすごく驚きましたよ。天才的でした。

 

『Babay』のミュージッビデオの話になりますが、Jamiroquaiの『Virtual Insanity』のミュージックビデオと『怪盗ルパン』が自然に思い浮かぶようなミュージックビデオでした。コンセプトはどのように決めたのですか?

怪盗ルパンはDigipedi(※)兄さんたちが提案してくれたし、『Virtual Insanity』にしてもある意味そのような構図自体がDigipedi兄さんたちのセンスが大きいです。僕が構想したビデオも多いですが、今回タイトル曲が『Babay』になるか分からなかったし、僕の戦略とは大きくズレました(笑) だからこの曲のビデオの場合はDigipedi兄さんたちの功績が大きいです。

※Digipedi(ディジペディ):OROSHIと1MORETIMEの2人で構成されたチームで、ミュージックビデオやバイラルビデオ(ネットCM)をはじめとする多様な映像を制作している

 

Babay – Zion.T Feat. Gaeko

 

Virtual Insanity – Jamiroquai

 

それではご本人が構想したミュージックビデオは、今後出てくる予定はありますか?

ひとまずアルバムが出てから、出たビデオに何の意味があるのだろうか、実際にはどんなことを残したいだろうかということを考えてビデオを作りたいという欲求はあります。進めてみますよ。

 

さっきも少し話が出ましたが、以前のZion.Tさんといえばオートチューンに対する認識が強いですが、今回のアルバムでは意識した部分はあるんですか? 聴いてみるとオートチューンの痕跡が濃厚だという感じはまったくなく、それよりも種族の特性としてオートチューンされたような声を持っていると思います。

僕は今回のアルバムではオートチューンは使用しませんでした。しかし人々が変に執着しているみたいです。それの何が重要なんですか?(笑) 単なる表現方法のうちのひとつなのに、オートチューンを使ったらどうだと言うのか(笑) 使ったなら使ったんでしょう。ブーツを履く日があれば、サンダルを履く日もあるじゃないですか。そのような部分においては、そのまま何も考えずに作りました。

 

T-Painがものすごくお好きだったり、もしかしたら意図的にそのようなバイブのために声を作られたのですか?

音楽を最初に始めたときはそうでした。実際T-Painのようにしていました。T-Painの音楽は本当にたくさん聴きましたよ。だから実際その頃は韓国のT-Painになりたいと思っていました。それまであのような人がいなかったので、とにかくT-Painの音楽が出てきたときは本当におもしろかったじゃないですか。その頃T-Painがよく使っていたアレンジとか、そのようなバイブの影響をとてもたくさん受けました。最初に音楽を始めたとき、彼のスタイルをかなり掘り下げてみたらスタイルが予測できるようになったんです。それであるとき同じようにやろうとしてみたんだけどできなかったんですよ。最初は自分の限界だと思っていましたが、実際には限界ではなく「僕は彼と違って、彼とは別の才能を持っているんだ」と考えるようになって、そのときから僕のスタイルが形成されて彼とは違う形でやるようになりきました。

 

Chopped N Skrewed – T-Pain Feat. Ludacris

 

オートチューンは一時期、全世界的に大きなトレンドだったし、今は歌王チョー・ヨンピルもオートチューンを使う時代なのに。

(笑) Bounce!(※)

※Bounce:日本でも御馴染みの超大御所歌手、チョー・ヨンピルさんが先月10年ぶりにリリースした新曲のタイトルが『Bounce』です

 

(笑) 仰ったように世界的にもオートチューンの乱用について問題提起されたりもしましたが、そのような部分においてはオートチューン使用に対するそれなりの基準や定義をお持ちだと思います。

ああ~何も考えてないです(笑)

 

(笑)

ただおもしろくて使ったんでしょう(笑)

 

では「オートチューンがいいだけだろ」というような非難はまったく意識していないほうでしょうか?

だったら君の彼女は化粧がいいだけだと言いたいです(笑) そうでしょう。君は靴にインソールを入れてるからいいだけとか。

 

パンチラインが……(笑) 次の質問ですが、Zion.Tさんの歌詞を見ると主に愛が始まったときの生き生きとしてときめく気持ちが込められているようです。いつも歌詞の中では恋愛の進行段階がサムシング段階(※)のような?

唯一僕の感情的な部分を込めた曲が『뻔한 멜로디(ありふれたメロディ)』ですが、それでさえ僕は「ああ、僕が愛の歌を歌うとは ハハハ(※)」といった歌詞の感じのままだったんです。僕はこの手の話をするときは惜しみなく表現するスタイルですが、不思議と歌を歌うときは萎縮感があるようです。それでそういった感情がこの曲に入ったようですが、分からないです。僕はまだ真剣な愛とか洗練された愛の感情を感じたことがないというところもあって、今のところはそのような印象は与えないのだと思います。

※サムシング段階:韓国の若者言葉で、つき合うかつき合わないかという恋愛の初期段階のこと

※僕が愛の歌を歌うとは ハハハ:この曲のサビの歌詞が「ありふれた愛の物語を歌うようになるとは思わなかった ありふれたメロディ ありふれた愛の歌 僕もその中のひとつの愛の物語だなんて ハハハ」といったものです

 

経験したことがないのでリアルに表現することができない?

はい。だから僕は今すぐ別れの歌を歌う必要はないのではないですか

 

『지구온난화(地球温暖化)』という曲は、アルバム全体の流れで非常に弾けた曲だと言えますが、地球温暖化をテーマにレゲエをやることになった理由はあるのでしょうか?

実際には地球温暖化に対して特に大きな関心はないです(笑) 地球は暑くなっていますが、それが今のところ僕に大きな影響を与えているわけではなくて、ただスタジオや会場にいると暑いじゃないですか。それがますます暑くなったりする感じを入れたかったんです。ビートを初めて聴いたとき、思わず「オ~ナナ」と口ずさみました。そして考えてみたら地球温暖化と語感が似ていたんですよ(温暖化は韓国語でオンナンファ)。それで作ることになったんです。

 

YDG(ヤン・ドングン)さんの2歳のお子様へのメッセージも印象深いですが、何かエピソードはありそうです。

はい、その通りです。レコーディングするとき、ドングン兄さんの奥様が来られました。歌を歌って僕が「兄さん、気軽に言ってください」と要求したんです。するとドングン兄さんが「暑くて暑くて……。服を脱がせろ、脱がせろ」と言って、「ああ、今子供が聞いているのに何を言ってるんだ、悪かったな、赤ちゃん」と言うのがおもしろくてツギハギしたんです。

 

『뻔한 멜로디(ありふれたメロディ)』について言及する前に、Amoeba Cultureの「NOWorkend」企画力には本当に感心しました。発表する曲ごとにヒットを出しながら、素晴らしい完成度を見せてくれました。このような企画が生まれた背景についてお聞きしたいです。

企画の背景については僕も詳しくは知らないです(笑) だけど社内で異常に作業欲が旺盛だった時期に、それらを結んだひとつの名前がこのプロジェクトではないかと思います。今とても多くの活動が重なっていますね。Supream Team兄さんたちが出て、すぐに僕のアルバムが出て、と出続けていますが、今のこの状況下で進行できる最適なプロジェクトだったと思います。

 

「NOWorkend」というプロジェクト自体は休息という次元でミュージシャンがずっとやりたかったような曲をやってみようという趣旨でしたが、『뻔한 멜로디(ありふれたメロディ)』という曲はどんな意味でZion.Tさんに休憩なのでしょうか?

ただ最初にお聴かせしたかったんです。この曲が出てくることになった背景がとても不思議なのですが、Crushはこの曲を作成した当時、彼女と別れた状態でした。それで12時にレコーディングのスケジュールがある前、11時頃にCrushとカフェに座ってそういった感情面の話をしていたら、僕はCrushとは反対の状況のインスピレーションを受けて、即興で4小節を作って聴かせたんです。するとCrushがそのパターンを持ってほかの方法で解釈をして、ほかの物語を作ったんですよ。そして12時になって、アルバムに収録する予定だった別の曲を録音しに行くところだったのに、その曲を取り消して12時からこれを録音をして、明け方までかけて完成させました。そして翌日社長に会ったときに「昨日これを作りました」と聴かせたんです。そしたら「いいね!」と言うのですぐにミュージックビデオを撮影をして、リリースするところまで2週間もかかりませんでした。そんな感じで突然パッと誕生した曲です。

 

뻔한 멜로디(Two Melodies) – Zion.T Feat. Crush

 

今回のアルバムに最も大きく影響を与えたインスピレーションの源は何でしょうか?

先ほども少し話したように、今の僕の音楽のインスピレーションの源は、刹那の瞬間ではないかと思います。今の僕の音楽を表現するための最良の言葉は、瞬間と刹那のようです。

 

これまで多くのミュージシャンたちとのコラボをしてきましたが、国内国外を問わず、一緒に仕事してみたいミュージシャンはいますか?

自己主体性のあるミュージシャンであれば、どのジャンルの誰と作業をしても新鮮なものが出てくるだろうと思います。僕も今とても作業欲があるので何でもおもしろそうだと思いますが、個人的には最近ユン・ミレさんと一緒にやってみたいという思いがあります。プロデューサーではTeddyさんが本当に素晴らしいと思います。そしてこの前僕にメッセージを送ってくれましたが、僕もCrushと同様(※)BIGBANGのテヤンさんとR&Bでデュエットをしてみたいです。

※Crushのインタビュー記事「Interview | Crush – 4月の新人 by HIPHOPPLAYA」にも書きましたが、先日BIGBANGのTaeyangがツイッターでZion.TとCrushのことを「韓国の新世代R&Bプレーヤー!」と言及しました。Crushもこのインタビューの中でTaeyangと一緒に作業してみたいと話しています。ちなみにZion.Tは別インタビュー「Interview | Zion.T – Red Light by Daum Music」の中でもTeddyと一緒に作業してみたいと話していましたね。TeddyもBIGBANGと同じYGですし、いつかTeddyプロデュースでZion.TとCrushとTaeyangのコラボ曲とかが出る日が来るかもしれないですね!

 

VV:DクルーとZion.Tさんの今後の活動計画と方向性についてお聞かせください。

まず、VV:Dは個人主義指向が強いです。自分の持ち場をよく理解してそれに合わせて取りまとめるスタイルです。互いに取りまとめはしません(笑) だからVV:Dのような場合には、お互いに独立して活動をしていく中である瞬間クールなものをお見せすることができるのだと思います。今はまだそのようなことに対するスケールや方向は秘密です。期待していてください。

 

それではZion.Tさんご本人の今後の歩みはどうなりますか?

僕は次のアルバムをすでに作成しています。構想がある程度終わって、作曲を開始しています。とてもおもしろいものをお聴かせすることができそうです。コンセプトは秘密です(笑)

 

作業の速度がとても速いですね。それでは最後に、HIPHOPPLAYAの会員の皆様に何かメッセージをいただいてからインタビュー終わりにします。お疲れ様でした!

HIPHOPPLAYAは、僕もヒップホップを始めたときからよく見ていた会員の一人ですよ。ずっと見守ってくださると嬉しいですね。僕も会員ですよ! コメントはしないけど(笑) 愛してます!

 

出所:HIPHOPPLAYA (2013-05-03)
日本語訳:Sakiko Torii

 

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